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清書:疑問を持つ心 イチゴ の広場
がっちゃん てな 高2

 97年に日本中を恐怖に震わせた「神戸連続児童殺傷事件」。ワイドショーやニュースでは、心理学の専門家や非行少年を主に扱っている相談センター等
の職員をゲストに呼んで、なぜこの事件が起こったのか等を検証したなぜ人々は客観的な解説を聞いて理解したように感じるのか。  

 その原因としてまず、現代の学問が複雑化してきていることが挙げられる。解説というのは起こった出来事の経緯を語る事で、そのもの自体の解決法はそ
こまで詳しくは語らない。これでは事件が増えるばかりである。  

 他の原因として、単純に私たちが複雑なことを「かっこいい」と考えることにあると思う。私は「複雑なことを理解でき、また他人にそれを語ることので
きる人間」というのを頭の良い人間だと考えていた。しかしそれはまちがいで、物事の本質を見極められる心と理解しようとする気構えがなければ意味がな いと思う。  

 勉強は、詰め込むようにするものと、話を聞いて意味を理解するものがある。周りのことを知ろうと思えば、自然に理解する。なににでも疑問をもち、専
門家の複雑な意見に反論できるぐらい疑問を追及する人間が一番望ましい。  

 
                                                 
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