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人にとっての「知識」 |
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アジサイ |
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の広場
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ひまわり |
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あなつ |
高2 |
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| 永い間、より多く知る事がより真実に近づく事だと考えられていた。ところが真実は必ずしもそうとばかりにはならずに、多くの知識を持つ事によって、か |
| えって私達はあるがままにものを見るということを出来なくなるという事態が生ずるようになった。子供の問題に関しては強調されて然るべきだろう。現在 |
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☆ |
| 多くの知識を持つ事によって素直にものを見る、と言う事ができないのは、本当に私達の生活上ではしょっ中あるのではないか。少なくとも私はよくある。 |
| いつか、私の学年に転校生が来た。彼女はどうも、前の学校で性格悪いのが原因で仲間はずれにされ、転校してきたらしかった。このような、妙な彼女につ |
| いての知識が私の頭に先に飛びこんできたことにより、「この子はどこか性格が悪いのだ」というレッテルを彼女に貼り付けていたのだ。だから彼女と接して |
| も、どうせこの子は~という考え方になり、素直に彼女の性格が感じられなかった。もし彼女が、転校生ではなく、初めから同じ学校だったら彼女の第一印 |
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☆ |
| そんな危険な存在となる知識も、また他の面からみれば、人間にとって大変必要な存在となる。何事も、知っていて損はないし、様々なことを知り、頭に蓄 |
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☆ |
| しかし、やはり最近では知識が、人の素直にかんじさせる能力の働きを邪魔しているケースが目立つ気がする。特に、筆者のいうように「子供」の問題は、と |
| らわれない目であるがままに見なければならないのに、専門家達は出来合いの知識によって、レッテルを貼り付けている。これは子供をもっと追いやってい |
| る事になるのである。このような知識は人間に固定観念を芽生えさせる。知識は生きていくには大事な物であるのは最もである。しかし、物や人を見つめる |
| 時、知識はあくまでも知識として頭の隅っこにおいておき、真っ白な状態でまず向き合う事が何よりも良いのである。まず向き合って考える。その時始めて |
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