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清書:ためにするなにか |
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眠雨 |
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うき |
高2 |
近年の日本では心による触れ合いが忘れられている。我々は心のこすれ合う感覚へ、もっと意識を集中させてみるべではないだろうか。 |
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問題の原因としては、日本は諸外国と違い、強い土着の倫理的規制力、つまり強い勢力を持つ国教が生まれなかったことがあるだろう。仏教もキリスト教 |
| も伝わったが、自らの悪行に恐怖するほど他国の文化を信じる者は、国民の中に少なかった。そして日本人の「ためにする(Do For |
| One)」気持ちは、結局エゴイズムに勝るほどにはならなかったのだ。 |
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確かに誰かの心ばかりを気にしては、不安のあまり結局なにもできなくなってしまう。その恐れを無くしてはいけない。が、恐れに縛られてもいけない。 |
| 自らの傷つく心を知り、相手の傷つく心を知り、手加減を知り、触れ方を思いだしていけば、人の理解を思い出すことも、決して難しくはないのではないだ |
| ろうか。 |
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