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競争心の行き着く場所 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 高1

 「競争心」は、動物の本能的な行動で、それを抑圧、あるいは無くすと大変なことになるというのは、経験的に分かることである。例えば、全てにおいて


「競争心」がなくなったと仮定しよう。まず、企業が価格・サービス・効率などの面で互いに競争しなくなると、高い・悪い・(仕事が)遅いの三拍子そろ
った企業になってしまう。実例を挙げると、日本の航空会社は、長い間三大航空会社(日航・全日空・エアシステム)という枠で運行してきたため、昔から 熾烈な争いの続くアメリカ系航空会社に比べ競争力が弱いとされる。それはつまり、独占企業的に同一区間・同一運賃・同一時間というのをご丁寧に守って きたため、競争面で弱体化してしまったということだ。そこに、エア・ドゥやスカイマーク・エアラインズの低運賃を売りにした新会社が登場したため、日 航などは、慌てふためいてやっと新参会社と同運賃(¥30.000→¥10.000)まで引き下げたくらいだ。それだけ、「競争心」がなくなるということは恐ろし いこと、要は身の破滅に直結するということだ。  

 では、もっと身近なところで、我々の社会生活における競争心はというと、ないとも言えないし、はっきりあるとも言えない、大抵の人がこんな感じでは
ないだろうか。少なくとも僕はそう思う。競争心があるといえる場面は、やはりテスト、あるいは受験などの場面だ。働き始めたら、これに仕事をしている ときという場面がくっつくかもしれないが。ともかく、競争心を感じる場面というのは、明らかに相手との優劣、出来不出来を見せつける、或いは見せつけ られる場面だ。逆に感じない場面というのは、友達と遊んでいるときなど、利害関係が関係ない場面だ。結局競争というのは、利害をはっきりさせるもので あって、利害が関係しないときには、競争心は感じないということだ。  

 そこで、社会的に話題になる「競争心とイジメ」についてだが、幸いにも僕はイジメというイジメを受けたことがないので、あくまで推論であるが、競争
心とイジメは確かに関係すると思う。というのも、よく言うイジメの例では、相手と自分の違う所を挙げて、それで相手を責めたてる、こういう感じらしい 。また、最近のイジメはほとんどの場合「集団 対 1」という図式で行われることが多いと聞く。「ドラえもん」でのび太がいじめられるというのは、多くの場合ジャイアン一人にいじめられるので、「1 対 1」の図式でいじめられる。しかし、最近のそれは集団的協調からくるイジメであるから、「ドラえもん」式イジメとは全く別の観点で見る必要がある。そ ういう観点で見ると、競争することで相手の長所、短所が見えてくるはずが、本当か見せかけだけかは知らないが競争しないことにより、自分の価値観、如 いては「人間はかくあるべきだ」という思いだけが強調され、結果としてその枠からはずれた人間をイジメという形で扱う、多くの場合この例に当てはまる のではないだろうか。故に、競争心とイジメとは大いにかかわりがあるのではないかと思う。  

 よくドラマやマンガで、ひどく頭のいいやつが、「けっ、バカ共めが…」というセリフを聞くが、あれはおかしいと思う。確かに勉強という面では、その
人のほうがその周りにいる人より頭がいいかもしれない。だが、他の面で見ると、なかなかオールマイティーになんでも上手いという人は現実にはいないも のだから、なにかしら、その、自分は頭がいいと思っている人よりも、その周りの人が出来ることがあるに違いない。要は、一つの考えにとらわれて真の答 えが出てこないということなのだ。競争の真の目的は、表の意味は確かに利害をはっきりさせるということだが、そこに隠された真の意味は、相手との違い をはっきりさせて自己を確立し他を認め合う、こういうことだと思う。競争の行き着く果てがイジメであれば、はっきり言って人類の未来はないに等しい。 しかし、競争心から沸き起こる他を認め合う気持ちが大きくなれば、世界から“無意味な”争いがなくなる日も近い。我々は競争心に、こういうことを望ま なければならないのだと強く感じる。  

 
                                                 
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