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南極探検の奇跡 イチゴ の広場
A.L あそき 中1

 この本は、南極大陸横断を目標にしながら、南極大陸にも着けずに失敗した人たちの実際の話である。1914年、大英帝国南極横断探検隊がイギリスを
出発した。しかし、南極大陸の百数十キロメートル手前で氷にかこまれ身動きが取れなくなった。その後、氷の圧力に耐え切れず船は沈没したが、全員生き て帰ったという話だ。  

 僕が最初に驚いたのは、隊長のシャクルトンが隊員を募集したときに、5000人もの人が応募したことだ。広告には、「冒険に行きたい男子を求む。収
入少。極寒。まったく太陽を見ない日々が数ヵ月続く。危険が多く、生還の保証はない。成功した場合にのみ、名誉と賞賛を得る。」と書かれていたのにだ 。15歳の少年や女性も応募したというから、シャクルトンはかなり尊敬されていたのだろう。それだけではなく、南極にあこがれていたのかもしれない。 シャクルトンは、過去に二度南極へ行っている。1908年には、アムンゼンよりも速く南極点につきそうだったが、あと百数十キロメートルというところ で食糧がなくなり、イギリスに帰国した。この時、ナイトの称号も得ている。ナイトというのは、イギリスで王室や国家に対して功労のあった人に与えられ る爵位だ。このような功績があったことも影響されていると思う。  

 僕は、この探検隊は旅行にでも来ているのかと少し思った。なぜなら、霧や氷で動けなくなったら、すぐに外でサッカーやホッケーをするし、氷に完全に
閉じ込められ越冬が決まったら、犬の別荘を氷で造る。イグルーならぬ、ドッグルーだ。そのうち、ドッグルーの外観を競うようになった。ほかにも、エン ジンつきの動力そりでアイスクリーム売りごっこをしたり、犬ぞり競争で賭けをしたり、自転車で走り回って迷子になったりしたというのだ。科学者、画家 、カメラマンはそれなりの仕事をしていたんだろうが、船乗りたちは遊んでいる。生物学者の海水のサンプルには、ゆでたスパゲティーを入れたりしたのだ から、いい迷惑だ。でも、こうでもしなければ暇つぶしは出来なかったんだろう。  

 船が沈没してからは、普通の人間ではたえられない日々だっただろう。船の残骸で工夫して小屋を造って漂流されているうちはいいが、救命ボートを引っ
張って移動するという過酷な労働や、航海での寒さ、凍傷は大変だ。あまり体力のない科学者も同行していたのに、一人も死なずにすんだのはたいしたもん だ。  

 隊員の呑気さにも驚いた。それは、氷で身動き取れなくなったときには、
 

 「アーモンドチョコの真ん中にあるアーモンドのようだ。」
 

 というし、船が沈没した時には、
 

 「こんなことでもなきゃあ、ボスは本に書くことが何もなくて、困るでしょうが。」
 

 という。ボスというのはシャクルトンのことで、本というのは帰国後出版する予定の本のことだ。でも、どうしてアーモンドや本のことが思い浮かぶんだ
ろう。それに、シャクルトンは優れた探検家の条件として、楽天家であることと言っているので、これはしょうがないと思う。船が沈没したら、絶望して突 っ立っているのが普通だと思うんだが。冗談を言っていると、希望が見えてきてやる気がでるのかもしれない。  

 22人の隊員をエレファント島(南極大陸のすぐ近くの島)において、5人の隊員とともに助けを求めに行ったシャクルトンの勇気には、少し感動した。
ボートで千数百キロメートル離れた島に行くのだ。しかも、助かる可能性はゼロに近いというのに。もし、うまくいかなかったら隊員を見捨てたと勘違いさ れてしまうかもしれないのだ。でも、隊長だからやるしかなかったのだろう。  

 シャクルトン隊が全員生還した奇跡がおこったのは、運だけではなくシャクルトンの指導力や団結力が優れていたからだろう。団結力に関しては、ちょっ
とした反乱があったが。しかし、幸運にも全員生きて帰った。でも、もしも計画が順調に進んでいたら、大変なことになっていただろう。なぜなら、大陸の 反対側から迎えに来るオーロラ号という船が氷の圧力によってひどく損傷し、ニュージーランドに引き返していたからだ。 その後、1921年にはまた南 極大陸を目指して航海をするが、南極大陸から千数百キロメートル離れたサウスジョージア島で、南極に着けずに心臓発作のためシャクルトンは死んでしま う。あのようなことがあっても、南極に四度もシャクルトンが行こうとするのは、文明社会で落ち着かないシャクルトンを、凍りついた大陸がひきつける何 かがあったからだろう。もしも、シャクルトンが生きていたならば、何度でも南極探検に挑戦していたと思う。                                      
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