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競争すること |
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ひまわり |
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あなつ |
高2 |
☆ オイルショックで悲劇を味わった日本は逆に、それをのりきりオイル危機以前よりも強くなった。だんだんと世界的地位が上昇した日本は輸出を行い、国 |
際収支が黒字となり、経営はうまくいった。しかしこれは輸出先のヨーロッパ諸国にとったら、これらの品目を生産している地方の失業問題を引き起こし、 |
経済が弱体化していくことを招くので、非常に迷惑なことなのである。このような状況で、日本が世界の競争に打ち勝つためなら他国はどうなってもいい、 |
という考えで競争するということは良くないのだと、筆者は言っている。 |
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☆ 「競争すること」は、ものすごく良いことであるのは知っている。例えば、私は競技スキーをやっているのだが、スキー部内の、自分と同じくらいの技 |
術をもった友達どうしでやはり競い合っている。相手がほめられれば、悔しくて自分ももっと上手くなってやろうと頑張る。そうやってお互いを刺激しあい |
、お互いを高めていくことができるのだ。競争とは人を高めていくのに必要なものなのだ。しかし、だからといってその競争に打ち勝つのならどんな状況で |
も良いと考えるのは間違っているのだ、という筆者の意見に私は賛成なのである。例えば、二週間前にスキーを始めたばかりの人と、もう幼いころからスキ |
ーをしている人との間でさえも競争をするのは、いくらなんでも不公平で納得いかない。競い合うためには、スタートラインが同じでなければならないし、 |
その人の個性などもかかわってくるのだ。 |
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☆ ではどうしたら、上手くお互いをより、高めていくことができるのだろうか。やはり全体の調和を保つことが大事なのである。要するに相手を思いやる |
ことだ。前例での、幼いころからスキーをやっていた人が当然のように、始めたばかりの人に勝ったとき、そこで前者は後者をつぶすのではなく、威張り散 |
らすのではなく、公平に評価をしたりするべきなのだ。筆者のあげた例でも、日本は努力して成果を出したのだろうと思うが、ヨーロッパ諸国はその国なり |
の色があって、文化も考え方も日本と違うのに、日本と同じように戦えというのは、かなり無茶なことなのだ。そこを理解して公平に戦わないと、競争の本 |
来の意味が成立しないのだ。 |
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☆競争とは、前にも述べたが、お互いを高めるためにはすばらしいものである。よって、ライバルというものが出現するのだ。正直、スポーツで競うとき |
、相手が足を怪我していたら、なんだが公平に競えなくて嫌である。こう考えることが正しいことで、この状況で、自分が必ず勝てる!と喜ぶことは、競争 |
の意味を取り違えている。自分だけの利益を求めて競うことは間違いであって、実際はどんなときでも相手を思い、お互いが両方ともよりよく成長していく |
ことができるものが競争なのである。 |
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