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清書:インタープリターの必要性(清書) アジサイ の広場
AE86 えや 高2

 私が考える「シロともクロとも付かないこと」は、ズバリ「脳死」の判断である。果たして、脳の動きが完全に停止した時点で脳死と判断してしまって良
いのだろうか? こうした事態を素人にも分かりやすく伝えるためにも「インタープリター」が必要となってくるのだ。しかし、このインタープリターが少 ないのも事実である。その理由として真っ先に挙げられるのが「学校での理科教育のやり方の問題」である。私は理科系が最も苦手な分野に分類されるから よく分かるが、学校の理科の授業というのは面白味に欠けるのである。特に出来たからと言って日常生活に役に立たないと思われるのだ。その逆で文系なら ば、生活の場面で活躍できるものも多い。こうした考えを持っている人々が多いことからインタープリターは少ないのだろう。しかし、人々は「シロともク ロとも付かないこと」について知りたがる場面も多くある。こうした場面で必要となるインタープリターを無くさない為にも、学校の理科教育は「面白い」 や「役に立つ」といった考えを植え付ける方向に変えて欲しい。                                                          
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