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ユーモア
オナガ
の
村
の広場
シュシュ
/
あさつ
小6
イギリス人はユーモアのセンスというものには特別なプライドをもっている。ユーモアとは、ユーモアは命を運転していくのに欠かすことのできないもの
だが日本ではユーモア感覚をあまり高く評価していない。ユーモアとは、ユーモラスと感じるかかんじないかのセンスのもんだいになるわけだ。
去年の3学期、私と友達4人でぶるぶる雑技団というものがつくられた。その時にお楽しみ会があったのだが、私たちは何かだし物をすることになった。
じかんがあまりなく、苦し紛れにみんなで考えた、友達の名前のだじゃれをいうことになった。たとえば「ユリ」という名前だったら、ユリをつかっただじ
ゃれをいうのだ。
「ユリのゆりかご!!」
5人で大声で言ったら、そんなにうけなかった。シーン・・・となったがみんなでたくさんだじゃれをいってむりやりもりあげた。そうしたら、しらけていた
人も、だんだんもりあがってきて先生もわらったりしていた。ということでわたしたちのだしものは成功したのだ。
私や、私の周りの友達はよくだじゃれをいう。それにあんまりしらけない。
社会で明智光秀というひとをならったときがあった。帰り道を歩きながら、1人の友達がそのだじゃれをいった。
「明智光秀からお菓子を3つもらった。あ、ケチ、3つひでー。」
「あはははは!!!!」
これはわたしたちにうけまくった。笑う門には福来るが本当なら、バンバン福がまいこみそうなぐらいだ。私は1週間ぐらいたって、このだじゃれを他の
友達にいってみた。
「明智光秀からおかしを3つもらった。あ、ケチ、3つひでー。」
「・・・・・・・・・」 ぜんぜんうけなくて、わたしはがっかりした。そのとき1しゅんまるでいままで明るかった電気がいっきにていでんしたみたいだった。
ユーモアは人間にとって人生の電灯のようなもので、ユーモアが無いとつまらないから、とてもたいせつだということがわかった。
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