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清書:電話 アジサイ の広場
あおき 高3 ☆こんにちは!御久しぶりです。涼しくなって参りましたがいかがお過ごしでしょうか? 今回は、友達からみせてもらったもので書きました♪テーマは電 話です。  

 
 

 ☆課題文☆
 

 このごろ電話というものが発明されなかったらどんなによかったかと思うことが、ときどきある。リップクリーム、ポケベル、名詞というのがいまの女子
高校生の「三種の神器」なのだそうだが、そしてそのうちポケベルが携帯電話に、名刺が「なかよし」の写真に変わりつつあるそうだが、リップクリーム以 外は全部嫌いだ。一生同じ名前で生きるという事実が好きじゃないし、どこかに所属していないと不安だ、記録しておかないと不安だという強迫観念から自 由でありたいと、ずっと思ってきた。けれどもいま、電話は発明されなかったほうがよかったとつくづく思う。  

 留守番電話がきらいだ。機械に向かってしゃべらないといけないというのもいやだけれど、カード入金のように、言葉をちょっと機会に預けておくくらい
に考えると、まあしんぼうもできる。向こうもいろいろ都合があるだろうから。留守番モードに設定しておく側だってそうじゃないかな。留守番モードにな んかしておくものだから、真っ暗な部屋に帰ったとき、電話に何も入っていないと、この世にひとりぼっち取り残されたような気分になる。わざわざ落ち込 むために買ったんじゃなく、だれかとつながっていたくって買ったはずなのに。  

 そしてキャッチホンなるしろもの。どんなやさしいひとも、キャッチしたとたん、鬼と化す。キャッチするというのは、「あなたは私にとって2番目以下
」と相手に言うことに等しい。キャッチするだけならまだしも、「ちょっと入っているので、あとでまた電話する」と言われたときには、悲しみをとおりこ してムカツク。それなら自分からかけてくるなと言いたくなる。人間関係を壊すために考案されたような残酷な装置である。いや、本当にそうなのかもしれ ない。携帯電話。これはパス。合格という意味じゃない。話題にしたくもないということ。  

 ひとはより親しい「ふれあい」をもとめて、じつは、より深い孤独に陥るためのメディアを開発してきたんじゃないだろうか。
 

 
 

 ☆本文☆
 

 
 

 駅のホームで、電車の中で、雑踏で。携帯電話を片手にメールを打っている親指族が今でも増加中である。このメールもまた、電話の変形であり、筆者の
いうふれあいのひとつの表れなのかもしれない。 電話とは夢の空間の様である。目の前にいるはずのない人と互いの顔を見ることなく会話をし、その時間 は意外に早く経過する。だが電話をきったあと、何を話したか思いだそうとしてもその大半を覚えてはいない。というのも、電話とは話すことを余儀なくさ れるものだからである。電話は沈黙を許さない。電話を成立させるためにただただ話続けることもあり、電話をきったあとに後悔をうむこともある。なぜこ んなに時間を無駄にしたのだろうか。そして、よけいなことを言ってしまったのだろうか・・・と。 しかし、我々は沈黙を嫌う傾向がある。だからこそ友 達と一緒のときには何か話題を探し、沈黙にならないようにするのではないだろうか。そして、その沈黙への嫌悪は私生活にも及んだ。一人でいるときの沈 黙も嫌だと感じ始めたのである。そこで携帯電話が発明されたと私は考える。孤独から触れ合いを求めて携帯を使用し、より孤独に陥っていくこのパラドッ クス。  

 しかし、携帯の音がなるたびに安心する人がいる。安心するためにメルトモを増やし、どこでもメールをしている人も多い。携帯電話とは、孤独を避けた
いと切に願う我々の心が生み出した一時の夢なのかもしれない。                                    
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