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日本の異様 アジサイ の広場
眠雨 うき 高2

 明治維新以降の輸入された文化とは、外国の風土で育ってきたものを従来の日本文化にむりやりくっつけただけのものであり、古来からの日本の空気を知
らない。それは湿気や四季といった外面的なものであるかもしれないし、閉鎖的な国民性のような内面的なものであるかもしれない。ともあれ共通している のは、常にどこか違和感をはらんでいるのに、誰もがそれを使っている、使わざるをえないというある種の滑稽さである。  

 現在の日本がこうもちぐはぐな文化を持つに至った第一の原因には、やはり外国コンプレックスがあげられる。三百余年の鎖国は外国との接触を制限し、
漏れ聞こえるわずかな情報を耳にした維新家たちは空想の中でいたずらに相手を大きくし、自分たちをあまりに矮小な存在と考えすぎた。思考の方向として 間違っていないのは確かだが、たとえば島国である日本の気候も考えずに、必死に洋服を着ようとしたような「西洋化」は明らかに評価すべき箇所を誤って いる。先日一人暮らしをしている友人の家へ泊まりに行ったのだが、典型的な洋風の建築であり、日本の蒸し暑い夏に対応するには明らかに窓は小さく、風 通しは悪かった。彼はクーラーを使うことで問題を解決していたが、外国コンプレックスはこのように現代までも受け継がれ、生活を浸食している。  

 また、第二の原因としては、鎖国を続けた島国・日本が欧米諸国の文化環境とは余りに違っていたことがあげられるだろう。鎖国の中で日本の文化は洗練
され、その独自性を強めていった。人々の意識が均一化されることにより俳句という世界でも類を見ない短文詩が生まれ、高い生産力により食卓のメニュー が確定していった。大規模な合戦は行われなくなり、武士道は精神論として発展を見せた。そんな中に入ってきた欧米諸国の文化が異質なものとして残った のも無理なからぬことだろう。ある翻訳家が中原中也の詩「骨」をフランス語に訳す際に、「これが僕の骨だ」の骨を複数形にしたという。単数系にすると フランス人はそれがどこの骨か聞きかねないから、ということだったが、日本語に住む我々にはまったく不可解なことだ。外国の文化はこれほどに異質であ る。  

 たしかに明治維新は日本を発展させ、諸国の思想や文明へ目を開かせた。また今もなお日本の様々な分野の究は外国の打ち出すものに追いついていないも
のが多い。しかしだからといって一から十までを諸外国の真似をするようではいけない。見習うところはあるだろうが、外国のものはあくまで異質なもので ある。日本古来の美しい文化たちを忘れ、醜く変質させるばかりではいけない。私たちはもう一度、我々の母国が持つものを見直してみるべきではないだろ うか。                                                    
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