講評 |
題名: | 高齢化社会を生きる! |
名前: | 横浜太郎 | さん( | あわか | ) | 高1 | アジサイ | の | 道 | の広場 |
内容 | ◎ | 字数 | 1175 | 字 | 構成 | ◎ | 題材 | ◎ | 表現: | ◎ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ |
"☆" 「生きる」ということは、どういうことなのか。ここに尽きる話題だね。今回の主張は、最後の一文にしっ |
かり表れているね。現代は、長文でも述べられているように、飛躍的に寿命が延びて、人生も長くなった。にも関 |
わらず、「高齢者」に対する意識は、数十年から百年くらい前とあまり変わらないのではないかな。そこが、現実 |
の社会のありようと、意識とに矛盾を生んでいるのだと思うよ。 定年を迎えると、一気に「年寄扱い」をされて |
、社会生活の中の邪魔者のような雰囲気が、何となくあるのはどうしてだろうね。おそらくは、日本社会が「もの |
を生み出す」ことに重きを置いてきたことも、原因だろうな。ものを生み出さないものは、社会的地位もない。( |
これは子どもも同様だね。)そこに、「高齢化社会=暗くわびしいもの」という図式ができ上がっているのではな |
いかなぁ。 しかし、「高齢」にひと括りされている人であっても、すべてのことからリタイアしているわけでは |
ない。にも関わらず「意味を見出す」場も機会も与えられていないからこそ、上の図式が生き残っているのだね。 |
やはり「どうすれば、意味を見出せるのか」ここを具体的に提示しておきたいな。 |
けいこ | 先生( | なら | ) |