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学問 アジサイの広場
太公望うの高2

 日本でいう学問の意義は何なのだろうか。今私が授業を受けている限りでは大学に受かる為と言うのが前面に出ている。その大学も実用に役立て
る為に学問をするのではなく立派な人間になる為にしている状況である。それが良いか悪いか定かではないが、学問の意義はアメリカとは正反対な ので実際の社会においてアメリカほど学問が社会の為に貢献しているとは思わない。  

 よく若者の間では「こんな勉強をしても意味が無い」と言う。私も最初はそればかりを言っていた。やっても意味が無いと言うのは実生活におい
て役に立たないということである。そうすると学ぶ意欲を無くし勉強をしなくなり日本人全体の学力が落ちることによってそれが日本人の社会力低 下を招いている。現代において普通の生活をしていたら今もっている知識をうまく活用していこうと言う考えが無く、何か問題にあった時自分の知 識からそれにあった物を選択するという状態である。つまり受動になっている今の日本人は立派になりたいとか役に立たせようとかそのような高度 なレベルの考えをあまり持っていないのである。今の社会は平凡な考えでは生きていけない。人とは違った知識を必要としてくる。それならばこれ からの学問は実用に役立てる為にやっていく必要がある  

 しかし、その考えによって競争社会が激化し学校ではいつのまにか目的が歪曲されテストでいい点を取る為にというようになってしまう。学校に
おいて「何の為に勉強をするのか」というのを学ぶ前に考えてみるべきである。そして学校で本来の目的が歪曲されるのを防ぐ必要である。今の社 会では、学校が閉鎖的である為その他の空間との共有する時間が少ないのである。だから小、中、高校と閉鎖空間において目的も無く勉強していれ ばこんなおかしな話があるかということになり勉強=悪というレッテルを貼られざる終えない状況だ。  

 これからは学問の意義を考え直すとともに個人個人の学問に対する考え方を見直していくべきである。社会状況において学問の意義は変化する物
だが、小さい時から学んだことが無駄になるような社会体質、個人の考えは捨てるべきである。  

 
                                                 
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