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豊かさを求めて アジサイの広場
UZI.SMGそお高2 今アフガニスタンで戦争が起きている。事の発端は周知の如くタリバン派による自爆テロと言われている。非戦闘員である一般市民数千人を殺害し たこの事件は絶対に許せない暴挙であり報復攻撃は当然の結果だと思う。だが、過激な暴挙ではあるがその主張を研究して事件の原因を解明し対処 しなければいつ再び繰り返すとも限らない。  

 
 

 その原因の一つにアメリカ、日本を中心とする資本主義経済圏の一方的な拡大があると思う。このシステムに組み込まれた日には、人々の生活は
お金なくして成り立たない。その日の食べ物すら手に入らない人々が満ち溢れている世界にこのシステムを押し付ければ当然後進国、貧国になるこ とは間違いないし、お金を稼ぐ余裕のない貧しい人はいつまでも貧しい。つまり農耕文化の確立から余剰生産物のトレードに始まり租税の貨幣化、 そして一般市民の生活への貨幣の浸透という一連のプロセスを踏まずして資本主義など成り立たないのだ。それなのに自由や平等、豊かさなど奇麗 事を掲げて我々はそうした貧しい人々から希望さえも奪ってはいないだろうか。そうした理想が実現しうるのは自分たちのような限定された「先進 国」だけであることに気づいているのか、それともあえて押し付けているのか。今回の戦争の舞台であるアフガンは明らかに貧しいが、仮にタリバ ンが滅んだとしてその後アメリカや国連を主体としてアフガンを資本主義化して旗色を塗り替えることが果たして最善なのか。「グローバリゼーシ ョン=資本主義化」という無意識な常識を考え直さない限り形を変え「テロリズム」は起こりつづけるだろう。政治的に資本を持たない後進国が資 本主義のテーブルで主導権を握り話し合いができるはずがなく、言葉による話し合いの道が閉ざされてしまっているのではないのか。  

 
 

 日本の行動についても触れたい。特にお金に関して言えば、日本はただ支援金と称して何十億と言う金を公共事業よろしくばら撒いている。しか
も、使い道を把握していないというから驚きだ。そうした大金はほぼ確実に富裕層の利益、さらには軍備費にまわり、救うべき人々にはほとんど恩 恵がないものと思われる。大体物価が桁外れに低いのだから、何十億円を全て食料に回せば下手すれば何年分にもなるだろうし、それと比べて現状 は貧困のままなのだからそういえるだろう。つまりこの行為は更なる貧富差を生んでしまうかもしれないのだ。この行為は自分の都合しか頭にない 下等な行為なのかもしれない。  

 
 

 このように現代社会が抱える問題を突き詰めると貧困からの脱出、そしてその前提としての「豊かさとは何か」に及ぶと思う。日本では「お金だ
けが幸せではない」という次元であるが、一方でアフガンの子供へのインタビューでは「学校で勉強できることが最高の幸せだ」という答えが出て いた。学校で居眠りして勉強もろくにしないで遊んでいる自分たちが情けないというかある意味不思議だ。また、僕らはよく「本当の」豊かさにつ いて考えようとするが、本当は一人一人豊かさの価値観が違っていて一つの形としての答えなどないのではないか。そう考えるならば「豊かさ」と は自分の価値観によって形成される理想的環境であり、そして他人の価値観を認めることができるゆとりなのだ。他者の存在を共に生きる者として 認めることを踏まえた「豊かさ」を求めて一人一人が努力していくことが平和への一歩であると提言する。またその努力の果てに「豊かさ」がある  

 
                                           
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