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清書:たかが道具 されど・・・(清書) アジサイの広場
有貴いおし小5

 日本は世界有数のとてもすばらしい手仕事の国だ。機械で物を作ると、確実にできてしかも大量に作る事ができる。反対に手仕事で作ると、時間
もかかるし訓練も必要だ。だから手仕事でお茶碗を作ったりする人が減ってきた。だが手仕事で物を作ると1つ1つに心がこもっているし、1つ1 つのものが違ってくる。  

 これを好んで手仕事で作った世界でたった一つしかない茶碗や器を買う人も多いだろう。
 

 社会の勉強で「伝統工芸品」というのを習った。手仕事で作って、日常生活に使うもので、色々な技を使わないとできない工芸品の事だ。日本に
は色々な伝統工芸品がある。例えば石川県でいうと「九谷焼」や「輪島塗り」に「加賀友禅」などがそうだ。なぜこの事を知っているかというと、 去年に石川県の事を学校で調べた時におばあちゃんにいろいろ聞いたからだ。だがこの伝統工芸品を作っているのはただのおじさんやおばさんだ。 別に世界的に有名な先生でもなければ、すごく腕の良い特別な職人でもないのだ。だがこういう人たちは自分がやっている仕事に誇りを持っている だろうし、熱心にやっている。  

 こんなに大切な手仕事で作るもの。だがこの手仕事で造ったものには名前が刻まれていない。すごく有名な九谷焼にも「九谷」などと書いてある
だけでやっぱり名前がない。輪島塗りや加賀友禅もそうだ。だがこのごろの美術品にはすべてに名前が入っている。どんな小さな物もそんなに知ら れていない物も名前が入っている。例えば素人の僕が一つの茶碗を焼いたとしても裏には、必ず名前を刻む事になる。  

 手仕事で作ったものと美術品を比べたら、手仕事のものはどこで作ったどういう種類のものといったような事が書いてある事がほとんどだ。しか
し美術品は誰が造ったものかなどが書いてある。この二つの違いは、何をこの世界残したいかの違いである。仕事そのものを残したいのか、自分の 存在した事を残したいのか。     

 名前はなくても世界にたった一つ、僕だけが知っている相棒のような道具・・・。僕ならそっちを選びたい。
                                               
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