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講評 |
題名: | 自己成長の確約 |
名前: | 横浜太郎 | さん( | あわか | ) | 高1 | アジサイ | の | 道 | の広場
|
内容 | ◎ | 字数 | 967 | 字 | 構成 | ◎ | 題材 | ◎ | 表現: | ◎ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ |
"☆" 食前の祈り、これは確かに横の人が始めたら、無関心なふりをしつつも、「オヤ?」と思う人が多そうだ |
ね。ちなみに、心の中で祈りを捧げるということと、敢えて行動にする(手を合わせるなど)には、意味合いの違 |
いがあるの? 心で祈るだけではダメなのか・手を合わせることに付加価値があるのか・行動が習慣化して本質を |
忘れがちになる危険性はないのか……時間があったら、今度あわか君の考えを聞かせてね。"☆" 今回は、いつも |
以上にあわか君の思いが真摯に伝わるような作文になったね。あわか君は、話題も豊富だし、文章力もあるので、 |
ややもすると力技で論を進めているような印象を受けることもあるけれど、今回はそうではない。落ち着いた論調 |
の中に、静かな力強さを感じさせるいい文章だ。 「目標」を持つということは、すなわち、今は目標に届いてい |
ないということだから、「完成者」ではないわけだね。目標と照らし合わせて、自らを省みていくというというの |
は、当たり前のようでなかなかできないこと。これができるのが、宗教家ということなのだね。もう一つ加えると |
すれば、そのバージョンアップの行き着くところにいるのが神である、というのが宗教たる所以かな。"☆"「はた |
して、学校の教師がみな、……」→たとえはとてもおもしろいけれど、その後の「しかし……」という接続詞から |
すると、「みなそうなのか。いや、そうでない人もいるはずだ。」と続くのが自然ではないかな。たとえがおもし |
ろいだけに、この部分がやや浮いている印象だ。 |
| けいこ | 先生( | なら | ) |
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