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清書:我が家の時計 アジサイの広場
雅貴あめす小6

「パッポー」
 

 「やばい七時半や」
 

 僕の家には、前ハト時計があった。三十分に一回なる時計だった。
 

 結構前からハト時計はつぶれていた。でもまだ何とか使えるので何とか使っていた。ハト時計は、長針と短針が重なるところでよく針が止まる。
夜寝て朝起きるとだいたい、決まった時間で針は止まっていた。一時五分が一番多かったのじゃないかと思う。なぜ時計が止まるかというと、一つ 部品がなくなったからだ。その部品がなくなったのは、理由がさっぱ~~~りわからない。でもその時計は、つぶれてもおかしくないだろう。なぜ なら、買って使われてから約十四年も経っていたのだから。自分よりも年をとっていたのだ。まるでベテラン教師のようだ。  

 ある日、僕が学校から帰ると、ハト時計がなくなって、変わりに新しい時計が壁に居座っていた。やっと新しいのを買ってきたのだ。
 

 「あっ、新しい時計買ってきたんやな」
 

 「そうやすごいやろ、電波を受信しているから一秒も狂いがないんやぞ」
 

 と父が自慢げに僕に言った。
 

 「そういや前の古いハト時計は?」
 

 と僕が聞くと母が
 

 「それは今度の燃えないゴミで捨てる」 と答えた。その時計を使い始めてから約一ヶ月がたって、改めて前のハト時計の良さがわかった。ハト
時計を使っていたときは、何度もうるさいハトが鳴く時計だと思っていた。しかし今では、ハトが鳴いてくれないから時計を見ないと時間がわから なくなった。 僕たちにとって古い物は、「なんだ、このおんぼろ」と思うかもしれないけれどもそのものがなくなってから、壊れてから大切さを 改めてわかるものだ。母の事をうるさいオバサンと思っていても、何か病気になってから母が大切だということがわかるのだ。  

   
                                   
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