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講評 |
題名: | 常にイデオロギーを |
名前: | 太公望 | さん( | うの | ) | 高2 | アジサイ | の | 峰 | の広場
|
内容 | ◎ | 字数 | 909 | 字 | 構成 | ◎ | 題材 | ◎ | 表現: | ◎ | 主題: | ◎ | 表記: | ◎ |
"☆" 商品の品質が向上し、ハイレベルで均質化したことで、コマーシャルの位置付けするところも変わってきた |
わけだね。うの君の主張は「ムードではなく、イデオロギーを」ということだね。さて、ではこの「ムード」と「 |
イデオロギー」はどこで線引きされるのだろう。ここがポイントになりそうだ。まとめの段落にある「モノより思 |
い出」が、ムードではなくイデオロギーであると判断する基準はどこにあるのか、それを丁寧に説明しておくとい |
いね。 長文の意見を踏まえると、結局のところ「方法は異なれど、広告は売らんとする商品と一体化しており、 |
それは他社製品との差別化でしかない」ということになりそう。直接的に言えば、「ムードもイデオロギーも、商 |
品を売り込む手段」ということかな。「モノより思い出」であれば、別にN社の商品でなくてもよいことになり、 |
それはCMとして自己否定することにならないか。少し斜に構えて深読みすると、このCMは「あなたの思い出の |
側にはN社の車が。わが社の車があなたの思い出を作ります!」ということにはならないだろうか。 長文5段落 |
目「広告内の議論なら……」以降は、再度チェックしておこう。「広告によるイデオロギーの提示(押しつけ)は |
、モノへの欲求喚起である。」ここは重要。これに対し、うの君は「広告によって、意味のあるイデオロギーを国 |
民に伝達せよ」と、異なる立場を取っているわけだね。モノへの欲求喚起を伴わないイデオロギー提示のCMとは |
どういうものか、うの君はどう考える? |
| けいこ | 先生( | なら | ) |
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