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清書:みんな知って! アジサイの広場
穂香すよ小5 数年前のことになるが、私は米国人の言語学者T氏と東京で親しくなった。しかしこのように、何かを食べてはいけないという明示的な規則は、外 国人にも比較的判りやすい。従っていろいろと食い違いが生じてくるのも当然である。  

 私がこの話を読んで一番身近に感じたのは国ごとで食べ方が違うとか、それによって行儀の良さがわかる。等の所だ。
 

 早速似た話だが、それは給食の時間に、私はスープから先に飲んで、つぎにパンを食べた。けれど、友達はパンから食べて、次に牛乳を飲んだ。
このように国ではないが、人として見てみるとこんな違いがある。  

 国として大きく見なくても人として小さく見るとこんな違いがあったのだ。
 

 そして、この文にあったが「自分がやったことが、その国のやり方でないからつい笑ってしまった。」というようなところがあり、それは、自分
・相手の無知が原因ともいえる。自分が十分に相手国のことを知らなかった。あるいは、相手側が十分に私たちの国のことを知らなかったというこ とが考えられる。  

  これでは、食事の場合だがどんなときであっても、無知であるとはいけないと思う。思いっきり勉強をしろというわけではなく、何も知らない
・何か分からない、といった状況におちいったら本当に何をしたらいいのか分からない。  

 私がこの話を読んで思ったことは、何も知らずに飛び出すのもいいが、ほんのわずかなことであってもしっていたらそれほど得になる。けれど、
それは両方がしっていなければ意味がない。だから、相手を理解して、自分も理解して、2つのいい物を見つけていけばいいと分かった                                              
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