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清書:相反するもの イチゴの広場
ルパンつろ中1 清書:相反するもの  

 
 

 光があるところに必ず影がある。どんなに光が眩しくとも四方八方から当たろうとも影は絶対に姿を隠さない。それと同じように、悪があるから
正義が成り立つ。悪がなければ正義もない。又、生があるから死も ある。生き物はある種の死を食べたり栄養にする  

 ことでまた新しい命をつないでいる。だから死なくしては新しいいのちは生まれないのである。私はこれらのお互い相反するものについて考えた
 

 
 

 まず一つ目は正義と悪。昔からナントカ戦隊ナントカマンとかナントカレンジャーは悪と戦うヒーローだった。でも、もし悪がいなければ…それ
をとめる正義はいらない。弟が「正義はカッコつけてるけど悪いヤツがいなければただの人だ。」と言った。私もそう思う。  

 
 

 次に光と影。例えば舞台で演劇があったとする。主役の光が眩しく、もう一人の主役が、影のような存在になってしまっていると考えよう。とこ
ろがどうだろう。影は光がなければ生まれない。どんなに光が眩しくても光だけが輝くことは無いのだ。  

 
 

 最後に生と死。ある新聞の記事に「小学校で生徒が自ら飼育した鶏を食用にするというものをが中止させた。」とあった。それを企画した先生は
、「今の世の中は、命を大切にしていない。子供達に命の大切さを教えたかった。」と話している。親の反対理由は、今まで自分で育てていたもの を目の前で殺すなんて残酷だと考えたからだ。私も始めは残酷だと思った。でもよく考えると、普段私達が食べている肉だってもとは生きていた。 これらだって目の前ではないにしろ食用として殺され市場に出ているのは確かだ。それなのに残酷と言って処理してしまうのはどうかと思う。もし 日本が戦争中だったら親は反対しただろうか。私はそうは思わない。もし自分の生死がかかっていれば間違い無く止めなかっただろう。先生が教え たかったのは、非常事態になればなんでもする人間の身勝手さだろう。  

  相対するものは、互いに支えあっている。どちらか一方だけでは成立しない。その法則のなかで命あるものは生きているのだ。 
                                     
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