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社会人の双眸 イチゴの広場
ムッちんとの中2

 社会という一つの場において身の振る舞い、言葉遣いなどは非常に重要度が高い。だが、同時に自分の独自性が失われてしまうのではないかとい
う声が出ているが、本当にそうなのだろうか?  

 例えば家の近くを散歩する時の服装と都心で買い物をしに行く時の服装では都心行きの方が気を遣ってるだろう。
 

 それはもちろん多くの人がいる場所なのだからなるべく多くの人に好かれたい、注目されたい、変な格好をして流行遅れで笑われたくない等の感
情が、周りの『目』というものが格段に増えて緊張感が増して煽りたてられてそうなるのだろうと僕は思っている。周りの目に対しての気持ちは『 他の人とできるだけ同じにしたい』国家である日本だけでなく、少なくともある程度余裕のある国の人ならば同じだろう。まわりに溶け込める程度 の服装で尚且つ自分の考えで周りに好印象を与えられるアレンジをするということを。(簡単に言うと学校の制服をどれだけうまく着こなすかとい  

 今のは服装についてだが、僕はこう考える。社会との摩擦を恐れるあまり仕方なく自分の個性を潰して身を振舞う。……のではなく、その身の振
る舞いというルールの中に自分というものが活きてくるのではないだろうか。  

 また、インターネットでのBBSなどは「です・ます」が当たり前であるがこのことをエチケットという。このエチケットが破られると某サイト
のように自分の意見が出すぎて文体の壊れた、相手を不快にさせてしまうようなことがある。だから、ルール(とはいうが、完璧にという意味では ない)というものも重要である。  

 だから、一流のホテルの話でも、なれるよりはなれろ、ではなく、なれろよりはなれる、という自発的な感じで、限定された空間でどれだけ自分
らしさを出せるか、と考えてみるのも面白い。                                                
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