先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
世間について考えよう! エンジュの広場
らくだいうみ中1

 「世間」という言葉が定義しにくいのは、世間は常に個人との関係においてその個人の顔見知りの人間関係の中で生まれているものだからであり
、仲間の利益しか考えていない。人によって世間が広い人も狭い人もいるからである。したがって個人ごとにさまざまな世間があり、日本人の多く は世間の中で暮らしている。私も共感する。理由は、二つある。  

 第一の理由は、仲間以外の人のことは、あまり考えていないと、思う時がある。つい、一ヶ月前ほどの話だけど、担任の先生が、近所の人から登
校する時、まとまっていて歩きにくい、と苦情がたと言っていた。その時は、「邪魔になってる歩き方なんてしてない。」と、思っていた。……ハ ズだった。よくよく考えてみれば、朝、登校するために通る人は、私達以外に小学生が大部分である。わざわざ、中学生や高校生に向かってまで、

「どいて」なんて言えるハズが無い。しかも、この事を知らなかった私達も凄いと思う。どれだけ、自分達の視野が狭く、自己中心的ということが言
 

 もう一つの理由は、人に連られて自分の意見が良く言えないことだ。おもわず、誰かの意見につられてしまうことってあると思う。でもそれは、
やはり世間というものが、あるから仕方の無いことかもしれない。  

 世間は、良いのか悪いのかは、良く分からない。でも、縛られすぎてはいけないと思うし、気にしな過ぎると、人に良いイメージは受けないと思
う。だけど、うまく世間と付き合えていければ良いと思う。  

 
 

 
                                               
ホームページ