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| 英霊 |
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| たば星人 | / | あころ | 中2 |
慰霊祭のたびに官僚たちのあいさつがある。 |
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「皆様の尊い犠牲の上に今の平和があることを決して忘れず・・・。」 |
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という言い回しを何度か聞いた。そのたびにそれは違うと思った。犠牲がなければ今の平和がなかったわけではないだろう。誰だって同胞の死を |
無駄とは思いたくない。しかし、無駄と認めないのは、自分たち人間の愚かさを糊塗することに他ならない。覚悟の犠牲ではなく無念の死であった |
という前提から考えないかぎり、また同じことがくりかえされるだろう。というのが筆者の考えだ。 |
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去年は、小泉総理の靖国神社参拝問題があった年だった。靖国神社には、戦争でなくなった人達の霊がまつられているそうだ。その霊を、「英霊 |
」と呼ぶそうだ。なぜ「英霊」なのだろうか。これには、戦争亡くなった偉い人の霊の様なニュアンスが含まれていると思う。しかし、これは変だ |
と思う。戦争で亡くなったは偉いということはないと思う。むしろその人たちの死は、無駄な物だったのだと思う。それは、戦争をすること事態が |
無駄なことだからだ。戦争をしても、実際のところ嬉しいのは、一部の人だけで戦争に無理矢理かり出されている人は全然嬉しくないと思う。それ |
に、戦争に行くということは死ぬことに等しいことだったわけだから、その家族の人も悲しいだけで嬉しくはないだろう。だから、そこで死んでい |
った人達にとっては、覚悟の犠牲ではなく、無念の死だったわけだ。その証拠に、生き延びるためには人肉も食べたという話が残っている。だから |
、靖国神社にまつられている霊を「英霊」と呼ぶのはおかしいと思う。 |
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大切なことは、戦争でなくなった人達を「英霊」と呼ぶか呼ばないかではなく、その人たちの死が無駄だったということだ。「上手なプレーをし |
たときよりも、悪いプレーをしたときの態度が大切である。」という名言があるが、それと同じように戦争という無駄なことをしてしまったことを |
反省し、無駄なことだったと認め、なぜこうなってしまったのかということを考えることが、今一番大事なことだと思う。 |
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