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清書:聞くは一時の恥 カモメの広場
ミュウあにた小5

 ソクラテスは、自分の仕事は人間が正しい理解を「生み出す」手伝いをすることだ、と思っていた。なぜなら本当の知は自分のなかからくるもの
だからだ。他人が接ぎ木することはできない。哲学者は自分があまりものを知らないということを知っている。自分がどれほどものを知らないかと いうことでソクラテスはなやんでいたのだ。ソクラテスは自分は知らないということを知っていただけだ。そのことを思いつめていた。それでソク ラテスは哲学者になったのだ。あきらめない人、知恵を手にいれようとあくことなく努める人に。  

 私は、算数の勉強の時に、こんなことがあった。先生が、
 

 「ここの問題分かりましたか。」
 

 と、みんなに聞いた。私は、そこの問題を間違えてしまった。どうしても分からなかった。聞きたいが、恥ずかしく手を上げられない。しかし、
 

 「大丈夫ですね。」
 

 と、先生がみんなに言って、算数の勉強は終わった。
 

 なぜ手を上げて聞かなかったのかというと、恥ずかしいからだ。家でお母さんたちに教えてもらえばいいと思っていたからだ。それに、
 

 「へぇ。この問題が、できなかったんだぁ。」
 

 なんて言われると、嫌な気持ちになる。ならないかもしれないが、悪事千里のようになると、とっても嫌になる。(それを馬耳東風で通り抜ける
人がいればいいが。)  

 言わないことで、トラブルは起きないだろうか。他の話で考えてみよう。私は小学校の低学年の時に、ゲームの説明書が読めなくて、(多分ひら
がなも)いいや、と思いながらそのままゲームを始めたら、すぐに少しだけ分からないところがでてきた。すると、お兄ちゃんが分からないところ を進めてくれた。ふと見ると、変なものになっていた。そこは、名前を決める所だったのだ。名前は決めていたのに、名前を違うものにされてしま った。しかも、それで決定を押していた。それからは、お母さんに聞いて、ゲームを進めた。分からないところは、聞いたほうがいいと思った。  

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・・・勉強でも、ゲームでも、聞くほうがいいと思った。これからは、分からないことは、聞いていこうと思っ
ている。ただ、まだ恥ずかしくて、勉強での質問は、聞けないかもしれない。                                      
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