先頭ページ
前ページ
次ページ
最終ページ
自分らしさと社会らしさ
ウグイスの谷の広場
潤之介/かな中2
ホテルのロビーでは「ボーイにむこうからやって来させる」のでなければいけない。それが一流ホテルのロビーを利用する、一流の客のやり方な
のだ。だが、簡単なようでこれがなかなかできない。指をちらりと持ち上げた程度では、ボーイなんか来てくれやしないのだ。しかし、飲み屋でお
ねえちゃんに焼き鳥を頼むのではないから、「おーい」と叫んだり、パチパチと手をたたいたりするわけにはいかない。ロビーに入ってきた時に、
あらかじめボーイに注目させておき、その一挙手一投足に意味を持たせておいて、タイミングよくちらりとやらないと、これは空を切る。
私は、上に書いてあるような高級なホテルに行ったことはないが、していいことと悪いことが決まっている所は嫌いだ。それでも生きている以上
そういうところに行くことはあるのかもしれないが、このような社会的にやっていいこと。やらなければいけないことを守らなければいけないとい
うのは、私はどうも苦手だ。だが、それをやらないと社会から「礼儀がなってない。」などと、爪弾きにされてしまうこともあるわけだから、やら
ないわけにはいかないだろう。社会的な体面を保つためにも礼儀は学ばないければいけない。
しかし、家の中にいる時は、誰だって礼儀なんか意識しないだろう。よく夏など暑い時に下着一枚で扇風機の前に陣取って涼んでいる人がいると
思う。が、まさかホテルで下着一枚でクーラーの前に陣取っているという人はいない。私は礼儀ばかりで堅苦しいのよりも、こちらの方が気楽で好
きである。だが、これも行き過ぎて気楽が一番という考えになってしまうと、去年の成人式のように市長に爆竹を投げるというような事件が起きて
しまうのである。だから、私達はしっかりと自分の理性をコントロールすることが大切になるだろう。
礼儀は守らなければいけない。だが、堅苦しすぎると個々人の能力をつぶしてしまう。だからといって、あまりにも自由奔放にやっていると社会
から爪弾きにされてしまう。この意見は一見対立しているように見えるが、自分のしたいように生きて、それで社会から認められるような生き方を
する人間になるのが私たちの目標ではないだろうか。
ホームページ