小さな花と大きな花 |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
吉見 | / | こと | 大3 |
私たちは植物は、たくさん栄養を与えれば与えるほど、より良く成長し美し |
い花を咲かせる、と思っている。だが実際は、それとは逆に充分な肥料を施さ |
れた植物ほど花を咲かせないそうだ。では、その充分な栄養は何に使われるの |
か、というと植物の根幹である根や球根に運ばれ、より長く生きようとする植 |
物の生命維持のために使われる。植物にとって花を咲かせるという行為は一番 |
の見せ場でもあり、その一方で膨大な生命エネルギーを消費する『死の行為』 |
でもある。つまり、美しい花は植物にとっての『死装束』を意味する。植物は |
栄養を与えられるほど、そのエネルギーを花を咲かせるためではなく長く生き |
るために使う。その生き方は私たち人間に共通するものがある。 |
私もそうだが若い人の多くは一度はタレントになってみたい、と思う。ここ |
近年タレントを発掘するオーディションに参加する若い男女が急増している。 |
オーディションを見事、通れば華やかな芸能界が待っている。テレビのバラエ |
ティ番組に出たりCDデビューをしたり、、普通の人生では体験できない貴重 |
で、そして甘い(甘くはないか、、)人生が待っている。だがタレントは栄枯 |
盛衰が激しくデビューして一、二年で消えてしまう事が少なくない。いくら若 |
くて美男、美女でも年をとればただのオジサン、オバサンになってしまう。や |
はり花のように一瞬の美しさ華やかさを求めることは平均寿命が八十歳に近い |
人間には、生きにくい生き方である。 |
芥川龍之介の『杜子春』の中で主人公の若い青年が仙人に願いをかなえても |
らう。青年は仙人に『たくさんお金が欲しい』と頼む。青年は、たくさんの大 |
金をもらい大富豪のように、その大金を湯水のごとく使った。羽振りがよけれ |
ば当然、人が集まってくる。しかし、その大金も底をついてしまえば青年もた |
だの人で一度は慕ってきた人も、すぐに離れて行ってしまった。一度きりの夢 |
を味わうのではなく長いスパンで人生設計をすることが大切だ。 |
植物が花を咲かせるように一瞬の美しさを求める刹那的な生き方も確かに魅 |
力がある。だが思っている以上に人生は長い。江戸時代の江戸っ子は華やかだ |
ったと思いがちだが実際は『細く長く生きよう』というのがモットーで長い人 |
生を少しでも楽しく有意義に生きるために芝居や歌舞伎を創り出した。あから |
さまに華やかな格好をするのではなく着物の裏にさりげなく刺繍をするのが『 |
粋』だったのだ。一寸先は闇と言われるように『今日が楽しければ良い』と思 |
いがちだが『楽しい毎日』を長く継続させるためには、やはり先のことを考え |
た人生設計が大切なのだ。『大きな花を一瞬で咲かせる生き方』ではなく『常 |
に小さな花が咲いている』そのような生き方が丁度良いだろう。 |