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ふつう死は、心臓が
イチゴの広場
美穂あたし高3
 「脳死」近ごろよく聞く言葉である。死を抑止するテクノロジーの介入によっ
て、生を手放しながらなお死を中断された、ある種の中間的身体が脳死状態で
ある。この「中間的身体」はいわば誰でもない身体として横たわっている。
 
 この間の移植治療のニュースにおいて我が家では家族会議が執り行なわれた
。内容は、「もし自分が同じ立場に置かれたらどうするか。」というものだっ
た。母は移植を受ける側であろうと、提供する側であろうとどちらも嫌だと答
えた。私は何も考えずに、どちら側であろうと受ける。と答え母と言い争いに
なった。しかし改めてよく考えると,母の意見にも賛成したくなった。もし私
が臓器移植をしたとしても,その後すぐに良くなるわけでもなく、免疫抑制剤
やらの治療でまだまだ周りの人に迷惑をかけることになるし、自分もその分痛
い思いをしなければならない。それに、誰でもない身体から臓器を貰うわけだ
から、いわば私は人造人間である。人造人間に成るより私はあっさり死にたい
 
 現代のテクノロジーはもはや人間の道具におさまる範囲を超えて進んでいる
。そこでは人間に「役立つ」はずのことが、人間を「非人間化」するようにさえな
っている。人間らしさを求める為に科学などが生まれて来たはずが今、合理主
義によって失われかけている。生まれた時は皆自然だったのだから最後も自然
に終わるのが好ましい様な気がする。全て科学が悪いとは言わない、しかし科
学に頼りすぎて自分が見えなくなる事だけは避けたい。
 
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