ふだん私たちは |
ウグイス | の | 滝 | の広場 |
杉田大岳 | / | うい | 中3 |
コインというものは、円形に見えたり長方形に見えたりと、様々な見方がで |
きる。このように物には色々な見方が存在する。レトッリクとはこのように別 |
の視点に立ち、別の展望があるのではないかと探求する努力することや、想像 |
力と創造力の営みだ。そしてレトリックは発見的な認識への努力に近い。物の |
見方の多様性という問題、そのことで肝心なのは、相手の立場、別の視点に立 |
ってみればどんなぐあいに物が見えるか、ということを思いえがいてみる能力 |
である。新しい視野を獲得するため、相互理解のために、今レトリック感覚を |
必要としている。 |
私達が日常で、このような多面的な見方をしなければならないときは、何ら |
かの問題があるときだろう。私の場合だと、数学の立体図形だ。この図形とい |
うものは、なかなかの曲者で、本当に何十通りもの見方をし、更に複雑な計算 |
をするという、半ば生き地獄といった感じだ。そのうえ答えが違うともうその |
日は、勉強したくなくなる効果をも与えるのだ。 |
しかしレトリック感覚が、本当に良いというわけでもない。その考えを大切 |
にするあまり、優柔不断になりかねないからだ。なぜなら決断というものは、 |
その場である程度のものを、色々考えずに切り捨てなければならないからだ。 |
だから私達は、臨機応変に変えていかなければならない。 |