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クラシックは難しい?
アジサイの広場
吉見こと大3
 今日の社会ではクラシック音楽は難しいと思う人がたくさんいる。その人た
ちが(私を含めて)口を揃えて言うのは一曲が非常に長く途中で退屈になって
眠くなってしまう、暗く閉ざされたコンサート会場で長時間、物音ひとつ立て
ずにじっと座っているのは苦痛だ、ということだ。クラシック音楽は文字通り
芸術そのもので、その芸術の中には作者(作曲者)の思想が詰まっている。中
でもクラシック音楽は大思想と位置付けられる。クラシック・アレルギーのよ
うになってしまった人の多くは言い換えれば、そのクラシックの中に詰まって
いる大思想を感じる事ができなくなった人ということになる。
 
 そのような社会的傾向が強くなっている中、一方で反対の現象も発生してい
る。よくテレビを見ていると番組の間にコマーシャルが入ることがある。その
コマーシャルにクラシックが挿入されることが最近、多くなったらしい。その
意味することはコマーシャルの世界にクラシックが新鮮だったという理由もあ
ろうが一番の理由はコマーシャルという約十五秒間の短い時間の中で、そのク
ラシックの思想を無意識のうちに感じ取ることができる人が増えてきたからで
はないか、ということだ。
 
 その背景には人の情報処理能力の著しい向上がある。今日のような氾濫する
情報の中で人は自然と瞬間のうちに必要な情報のみを感じ取ることができるよ
うになったのではないか。つまり長時間のクラシックを聴く必要もなくなった
のである。(必要な情報だったらまじめに聴くだろうし)
 
 私たちがクラシックを聴かなくなったのは、それが理解できないのではなく
長時間も座って分析する必要がなくなったからだ。インターネット手段の著し
い向上は人の情報処理能力を、より正確に速くさせるだろう。最も速い速読の
秘訣は不要なものは読まない、ということだ。それが今日、そしてこれからの
世界なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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