何はともあれ |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
武照 | / | あよ | 高2 |
ゼラチン状の頭(?)に以上に長いちぢれた足のようなものが付いている。 |
格好は間抜けだがなかなか侮れない奴で、人間が海水浴でその足に触れたりす |
るとそのピリッとする毒で人間を慌てさせたりする。ご存知デンキクラゲであ |
るが、実はこの動物はクラゲではない。この動物はいくつかの生物の集合体な |
のである。頭と足の一本一本は元は同じ形をした動物であったのだがそれぞれ |
違う形に進化し、共生することによって一つのクラゲのような様相を呈してい |
るのである。自然界ではこのように複数の固体が集合することにより体系を持 |
っている例は多い。 |
このデンキクラゲは自然環境の破壊によって個体数が減ってきているが、そ |
れは自然界だけではなく人間の社会においても起こっていることなのである。 |
例えば科学の専門化、少品種大量生産から多品種少量生産への流れ、個人を最 |
小単位とする資本主義、地域社会化、制服の自由化ときりが無いが、現代は体 |
系が失われ、個別を重視してきた時代であると言えるだろう。しかしマッド・ |
サイエンティストと言えば分かるように極端な個別化は人間の行動に歯止めを |
つけられない危険をはらんでいる。そこまで行かずとも「ホテル家族」などは |
個別化によって一つの体系が失われたよい例であろう。我々は体系と言うもの |
にもう一度目を向けてみる必要があるのではないだろうか。 |
ではどうすれば良いのであろうか。それは他の分野との交流である。「ネイ |
チャー」という世界的な権威を持つ科学雑誌があるが必ずしも内容は自然科学 |
だけではない。また、「エコノミスト」という雑誌があるがこれも必ずしも内 |
容は経済についてのものだけではない。さらに私の好きな古生物学の例を出せ |
ば、古生物学は地質学、動物行動学、解剖学などから教育に至るまであらゆる |
学問の相互理解の元に古生物学という体系ga成立っているのである。このよ |
うに一つの体系が相互理解に成立っているということは多いであろう。作曲家 |
の坂本隆一は次のように言っている。「クラッシック音楽100%の人の基準から |
言えば最近の音楽は音楽的に乏しいものが多い。しかし最近の音楽はクラッシ |
ック音楽にはない優れた点を持っている。ただ残念なことは最近の音楽を作曲 |
家も最近の音楽100%の人が多いと言うこと。互いに良い点を分かり合えば音 |
楽はずっと進歩するはずです。」相互理解なしに新たな体系の構築はありえな |
いであろう。 |
たしかに個別に目を向けることが現代社会を進歩させてきたことは確かであ |
る。理科の授業は桜を遠くから眺めてうっとりするのではなく、花を一つ取っ |
てきてちぎることから始まるのである。個人の自由などと言うものも個別に目 |
を向けることによって生まれたものであると言えるだろう。しかしある程度個 |
別化の進んできた現在、個別と体系の共存が求められているであろう。エコロ |
ジーという言葉が当初あらゆる分野を総合的に扱う家政学といういみで使われ |
ていたことは興味深い。と言うのも専門化があって初めて綜合化が意味を持つ |
ということをよく表していると思うからである。デンキクラゲは足だけでも頭 |
だけでも生きて行くことは出来ない。それらが相互理解し共生したとき新たな |
体系が生まれるのである。 |