要するに、一九八〇年代に |
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隆史 | / | きね | 高1 |
産業革命以来、技術革新は、内燃機関も電気技術も化学工業も、それが増大 |
させようとした物財生産はみな、数値化が可能なものだった。しかし、いま進 |
んでいる技術革新が増加させようとしている「知価」創造は、現実的にも理論 |
的にも数値化不可能な性格のものである。今、この一九八〇年代に、日本で、 |
そして世界の先進諸国で起こっている変革は、単なる技術革新でも一般的な流 |
行でもない。それは、産業革命いらい二百年振りに人類が迎えた「新社会」を |
生み出す大変革、いわば「知価革命」なのである。 |
例えば、戦後、まだ食べるものも普及していなかった頃の人々は「何でもい |
いから食べるものが欲しい。」や「着れるものが一つでも欲しい。」などとい |
うように質より量であった。しかし、今のように何でもそろう時代は、「たく |
さん食べるよりも、美味しいものを食べたい」というような量より質といった |
時代に変わってしまったのである。 |
確かに、多いものや安いものに目がいくこともあるが、やはり高くても質が |
いいという方に目が向き勝ちになってしまっている。「人間というものは、結 |
果から事のよしあしを判断する。」と言う言葉があるように今の人々はこれを |
買ったら役に立つと言うような将来的な役割を考えて買ったりもらったりする |
のである。 |