先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
人間は贅沢だ?
アジサイの広場
吉見こと大3
 人間のモノを求める要求には二つの要求がある。一つは人間が生存するため
に最小限必要な生理的要求(衣食住)。もう一つは尊敬の要求や自己実現の要
求(例えば高級車、宝石、美術品等)である。一般に生理的要求が強い事を「
絶対的貧困」と呼び自己実現要求が強い事を「相対的貧困」と呼ぶ。南米やア
フリカの貧しい国々は「絶対的貧困」だ。日々、飢えと貧困で悩まされている
。日本や欧米は「相対的貧困」だ。家電製品にしても次から次と新製品が登場
し私たちを悩ませる。物価が高騰しているため購入できる製品は限られる。つ
まり「相対的な貧困」は貧しい国から見れば「贅沢な悩み」なのだ。
 
 「絶対的貧困」は先進国と比べれば生活水準は格段に劣る。しかし精神面で
は私たち先進国の人間よりも豊かだ。貧しいが故に人の繋がりが強くなる。工
業化が確立していないため自然との触れ合いがある。食事の問題を除けば先進
国の慢性の病気である「ストレス」に悩まされる事は無い。「絶対的貧困」は
「精神的幸福」とも位置付ける事が出来る。
 
 一方の「贅沢な悩み」である「相対的貧困」の生活水準は格段に高い。食べ
たい物は何でも食べられる。行きたい場所には直に安全に到達できる。娯楽施
設も豊富だ。しかし精神面の豊かさでは「絶対的貧困」に劣る。モノが中心の
社会なので自然と人との繋がりが薄くなる。自然が少ない。「ストレス」だら
け、、。「相対的貧困」は「精神的不幸」と位置付ける事ができる。
 
 私たちにとって「相対的貧困」と「絶対的貧困」の、どちらが良いのか。日
本や欧米のように物質的な豊かさに慣れた国々は「相対的貧困」には耐えられ
ないだろう。貧しい国々も精神的な豊かさを犠牲にするだろうか。一番、大切
なのは「バランス」だ。「絶対的貧困」と「相対的貧困」の中間、つまり「あ
る程度の物質的、精神的豊かさの恩恵を受ける事が出来る社会」だ。この中間
の世界を実現させるのは難しい。しかし近づく事は出来る。この中間の世界に
近づく事が私たち若者の使命だ。
 
 (失敗しました。今週は難しいです。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ