中国には数限りなく |
アジサイ | の | 丘 | の広場 |
T.O | / | いう | 高3 |
現在、アジアの国々は様々な方向に向かっている。日本は1960年代に高 |
度経済成長期をむかえ、もう発展が一段落してしまい、次に何をしたら良いか |
途方に暮れているような印象を持たれるが、その他の国は揃って同じ足並みで |
少しずつ発展している。しかし、その足跡が日本のものと全く一緒なのでアジ |
アの国々は日本が抱えているのと同じ問題にいずれ直面するのではないかとい |
う危惧もある。 |
例えば、東南アジアは発展途上国という国際基準から見た状態であるが、そ |
うであるがゆえに発展に対する熱意は第二次世界大戦直後の日本と似たような |
所がある。発展の一方で、過度の競争による人格の歪みや公害といった様々な |
弊害が表れていることも事実である。今の日本は、その弊害が霞んで見えるほ |
どに発展したが、弊害をそのままうやむやにしてしまうのではなく自分たちが |
解決しなければならない問題として再考するべきであり、アジアの国々も発展 |
と共に国に住む人間とのバランスも考えるべきであると思う。 |
おそらく、どこの国にも人間は競争によってのみ進歩するという競争原理が |
人々の考えの根底にあるのではないだろうか。人間が競争心を失ってしまった |
ら進歩が止まってしまうことは否定できないが、なにも他人との競争ばかりに |
目を向ける必要はないと思う。自分のおかれている環境のことも考え、じぶん |
がいる土地の伝統や自然などをどのように保護し調和してゆくかにも気を配る |
べきである。常に、人間のためだけの発展を考えるのではなく、周囲の環境の |
ことも考慮に入れた広い規模での進歩を考えるべきではないだろうか。 |
たしかに、国ごとに発展の方向や発展に対する考え方は違うかもしれないの |
で、一概に「進歩=競争」と考える人ばかりいるとは言えない。しかし、アジ |
アをとってみてもその上昇志向は著しく、何はともあれまずは国の興隆が優先 |
され、そのために様々な所で人々はしのぎをけずり激しい競争を展開している |
。何とも熱意にあふれた光景であるが、どことなく一頃の日本と重なる面がい |
くつかあるので日本と全く同じ問題で苦しむ姿を想像できなくない。自分たち |
と同じ問題に苦しむ他国の姿はもう見たくないものである。 |