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最近のいじめの例では・・・
アジサイの広場
さやかあおべ高1
 先輩後輩関係は、いじめの発生原因ではあるが、「管理されたいじめ」とい
う特徴を持ちやすい。しかしそれが現在一人っ子化で失われコミュニケーショ
ンがとれなくなっている子供が多い。現在の学校は受験戦争という種目しか提
供していないし、それもタテマエ上、子供の競争心を煽っては行けないという
欺瞞的な平等主義が支配しているので子供のいじめが減らない。
 
 いじめを減らすためには、どうしたらよいのか。たしかに子供にとって学ぶ
ことはたくさんあるはずである。私も小学生の低学年の頃は姉の友達に遊んで
もらったり、マンションの近くの子とあそんだりした。今思うとそういうこと
で私も他の人も人間関係を自然に学んでいたんだなあと思う。しかし最近、学
校では勉強というものしか子供に教えていないようだ。私が昔かよっていた小
学校でも最近はウォークラリーなどが週休二日制によって時間が足りなく、な
いようだ。ウォークラリーは小1から小6までの縦割りで上級生と下級生とが
ふれあう良い機会である。それでなくとも最近は、テレビゲームで遊ぶ子が多
く上級生や下級生と遊ぶということが少ない。ひとりっこ化によってコミュニ
ケーションが取れなくなっている今、学校は勉強だけではなくもっと人間関係
を学ばせることをするべきである。そうすれば相手との接し方もわかってくる
のではないか。
 
 いじめを減らすための第二の方法として、もっと一人一人の良い点を見出す
べきではないのか。勉強ができなくても、美術が得意だとか、運動が得意だと
か、音楽が得意だという人がたくさんいる。しかし、学校では良い成績を取る
ことが第一とされている。私の学年主任の先生はいつも、「おまえらは勉強も
できなくて運動神経も悪くて、態度悪くて人の話しは聞かないし、全然良いと
ころがないな。」と言う。しかも先生は自分は頭も良くて運動も出来るという
ことで(体育教師なので)自分は完璧な人間だと言っているようである。しか
し、もしかしたら、勉強もできないし、運動神経もわるくても、音楽が得意な
人がいるかもしれない。いや、絶対にいると思う。人間というのはある一面、
もしくは二面だけを見ただけで評価するものではないと思う。学校のそういっ
た、人間の一面だけを見るようなやり方により、子供もそういう目で人を見る
ようになり、いじめが発生するのではないか。そのためにも、もっと一人一人
の良い点を見出してゆくべきなのだ。
 
 現在の学校は受験戦争という種目しか提供していない。しかし、「雑草とは
、まだ、その美点が発見されていない植物のことである。」ということばがあ
るように、勉強だけをあたえられて、「出来ない子」といわれるが、その子に
も「良い点」がたくさんあるのだということをわすれないで、おたがいの良い
所を見つけてゆくことが、いじめを減らす、第一歩であると思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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