「一九七九年一月一七日から」を読んで |
アジサイ | の | 丘 | の広場 |
T.O | / | いう | 高3 |
□近年教育を考えることにおいて「知識偏重」、「受験体制」、「テスト主義 |
」といった言葉が罪悪のごとく非難されているが、人間というものはある程度 |
の強制がないと規律を保てない。そして、自発的に知識を身につけられるもの |
ではないのだから、強制の伴わない教育はあり得ないのである。しかし、それ |
が行き過ぎて自身の向上より他人を蹴落として這い上がろうという意地汚い根 |
性が形成される恐れもあわせもっている。この、「評点」が教育を受ける側に |
もたらす影響が問題なのである。 |
□そもそも、今の社会が人間に評価を下す際にもっとも重点を置いているの |
が「評点」すなわち「点数」なのである。そして、その点数が後の人生に何ら |
かの影響をもたらすような仕組みになっていることも知識偏重の風潮を促して |
しまっている要因である。いずれにしても、「点数こそ人間の価値をはかる絶 |
対的な尺度である」といった古代ギリシャの思想を捻じ曲げたような考え方に |
はやはり偏りがあるように思える。 |
□率直に言うならば、評点以外の評価にもっと幅を持たせ、単純な知識だけ |
にとどまらず点数だけで割り切れないような部分を多大に評価することが良い |
のではないだろうか。個々の人間が持つ能力や特徴は、誰一人としてまったく |
同じであることはないのだから、評価の方法も人間の数だけ存在するのである |
。だから、具体的な数字で表せられる評点だけで評価する方が簡単であっても |
、それ以外から人間の価値を見出すことの方が容易ではなくとも社会の発展を |
考えたら最善策である。 |
□通信簿の「5段階評価」のように誰にでもすぐ分かるような評価の方法が |
なければ、教育をする上では収拾がつかなくなり不都合な点も多々生じてくる |
。それに、ある程度の競争意識が芽生えなければ人間は気力が出ないし、本能 |
的に競争心を持っているのかもしれない。しかし、人間の進歩はすべて競争の |
みによるものであると決めてかかってはいつまでたっても評点だけの上っ面な |
評価しかできず、勉学あるいは仕事以外において強制なしで学びたい本能をつ |
ぶすことになるのではないか。難しいことではあるが、競争意識というのは人 |
間の中ではあくまで「目安」程度であるのが望ましいのである。 |