受動的な癒しと能動的な癒し |
アジサイ | の | 空 | の広場 |
吉見 | / | こと | 大3 |
近代に入ると、私たちは自分と向かい合い、自分自身の内側に存在する「孤 |
独な自我」を認識するようになった。それは自分の自己を主張する、という機 |
会にもなり「自分らしい生き方」を可能にしたが、その一方で「自分さえ良け |
れば他人はどうでもよい」という感情を生むことになってしまった。しかし、 |
この考え方が資本主義の原動力となり(つまりビジネスの本質)、私たち日本 |
人に世界一の物質的な豊かさをもたらしたのは事実である。戦後の日本人は内 |
側の存在する「孤独な自我」を認識しながらも、専ら経済発展のために身心を |
削ってきた。しかしバブル崩壊後、社会の価値観が揺らいでくると、その「孤 |
独な自我」が牙をむいて私たちに襲い掛かってきた。 |
バブル崩壊以前の日本人の多くは「強気」だった。身分不相応の家を平気で |
購入したり、世界的な名画を市場価格の数倍もの価格で購入したり、高価な貴 |
金属を買ったり、高級グルメを楽しんだり、、。その頃の日本人は自らの内に |
ある「孤独な自我」を物質的な豊かさで押さえつけていた。つまり「金さえあ |
れば一人で生きていける」という考え方だ。しかしバブル崩壊と同時に、その |
考え方も崩壊することになる。戦後最悪の経済不況により、私たちは「振り出 |
し」に戻されてしまった。そして「孤独な自我」が一気に噴き出し、私たちを |
不安に陥れ、数多くの自殺者を生むことになった。 |
そして私たちは「孤独な自我」を癒す薬を探すことになる。ある人はペット |
を飼い、そのペットの純粋で汚れのない目、心に触れることで自分の心を癒そ |
うとする。ある人はボランティア活動に参加し、それを通じて共通の意志を有 |
する友人を得たり、社会に奉仕することで自分自身の「孤独な自我」を救済し |
ようとする。その一方で得体の知れない新興宗教に没頭してしまう人もいる。 |
よく新宿や歌舞伎町、渋谷が「眠らない町」と呼ばれる、その所以は昼夜関係 |
なく「孤独な自我」を癒すために多くの人間が集まるから、かもしれない。 |
「孤独な自我」を癒す方法はあるのか。「孤独な自我」は一時的に癒すこと |
はできるが、完全に消し去ることはできない。それは人間は一人で生まれ、そ |
して一人で死ぬからだ。『文学のふるさと』という評論の中で坂口安吾は「生 |
存の孤独は、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独に |
は、どうしても救いがない。(中略)最後に、むごたらしいこと、救いがない |
こと、それだけが、唯一の救いなのであります。(中略)私は文学のふるさと |
、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。」と述べている。つまり「孤独 |
な自我」を単純に癒すのではなく、それを出発点にして「何かを生み出す」こ |
とが本当の癒しなのだ。受動的な癒しではなく、能動的な癒しができる人間だ |
けが激動の二十一世紀を生き残れるだろう。 |