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噴水
イチゴの広場
小西あおに小6
 ぼくは、つぎの文が気になる文だ。「噴水は飲めない水です。浴びることの
できない水である。」「もしかしたらミュンヘンでは、噴水の水で洗濯をして
もいいことになっているのかもしれない」「噴水の真に噴水たるものを見えに
くくさせる。噴水は、ただ水を噴き上げていればいいのである。」
 
 僕は、うえのぶんのことがきになった。特に1つ目の「噴水は・・・・・・水であ
る」の所だ。よくあたりを見ると・・・・、時々、意味の無いものが「ドン」とお
いてある。その代表的なものが、「絵」である。とても見てると、感動的な絵
もあるが、僕の書くような、きたないおじさんの絵を家ど真ん中置いたらどう
だろう。感動するどころか、見たその場で、失神してしまうだろう。その絵を
家に何年も置いておくと、たちまち、家は腐り、ゴキブリも住み付かなくなる
くらいになるだろう。このようになると、「役に立たない」ではなく、「この
世を破壊するもの」となるのである。
 
 次に3つ目の、「噴水の・・・・・・のである」の所である。この文には、「ただ
やっていればいい」ということがかいてあったが、人間は、それではいけない
のだ。人間は、「ただやっていれば良い」だと、人に命令されないと何もでき
ない人間になってしまうからだ。A君が、B君に、
 
 「お前、俺の肩たたけ。」
 
 といったら、B君は、A君の肩を指示通りにたたかなければならなくなる。
こんな生活は、だめなのだ。しっかり、自分の意志を持たなければ、ならない
ということだ。
 
 僕は、人間と噴水は、全然違うということを知って欲しいと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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