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生まれたころから
アジサイの広場
馬のしっぽはり中3
 30年の間に、日本の技術は欧米に追いつき追い越してしまった。その秘密は
最新技術を受け入れ、消化するだけの潜在能力が既にあったということだ。し
かし、日本人は欧米から「物真似上手」という批判を浴びせられ、自らの潜在
能力に誇りを持っていない。しかし、学ぶということは、徹底して「真似る」こ
とだったのである。
 
 中学二年まで私は陸上部に入っていた。入った理由は単に家が学校から近い
ため運動不足防止と肥満防止のためだった。あまり足が速い方ではなかったか
ら、私は中距離を選考した。私以外の人はほとんど短距離で、先輩と楽しそう
に部活を行っていた。中距離の先輩は、あまり部活に出なかった人で、中距離
を選んだ私ともう一人の友達は、部長にやることを聞きながら、二人でトラッ
クを走ったり、柔軟体操や筋トレをしていた。疲れにくい走り方や、息遣いが
分からず、友達に聞いたり、短距離の先輩に教えてもらったり、真似をして徐
々にタイムを上げていった。手の振り方や足の上げ方も、ほとんどと言って良
いほど先輩から学び、自分で消化していった。
 
 小学生低学年のころ、私たちはおさらいといって、毎日1ページずつお手本
の紙を見て、それと同じような字になるように真似て上手に字を書くという宿
題があった。小学一年生はひらがなから始まり、小学三年生にもなると、難し
い漢字もすらすらと上手に写して書くことができた。小学校一年生のころは、
先生から返ってくるノートは、赤いペンで何個所も何個所も直されていたが、
三年生にもなると、段々と赤いペンが少なくなり、逆に丸が多くなってきた。
押されるスタンプも、「がんばりましょう」から、「たいへんよくできました
」へと、変わっていった。私はお手本の紙の字の形を真似、自分の中でそれを
上手に消化していったことで、今の私自身の字が形成された。私が通っていた
小学校では真似るということが、教育の一環として行われていた。
 
 確かに、ものまねという行為は、人の技術を盗むということで、個性が無い
として今の世の中では批判されている。しかし、「なまけ者であることを批判
するよりも、人間とはもともとそうしたものだというところから出発するべき
だ」という名言がある。職人の世界では、手取り足取り教えるよりも、見て学
べという手段で技術を覚えさせた。また、赤ちゃんたちは言葉を覚える時、周
りの人のしゃべることを聞きながら、言葉というもの、またその意味を聞いて
真似することで自分のものとしてきた。人間は、真似することで技術を自分の
ものとしてきたのである。真似という行為を除いたら、私たちは一体何を得る
のだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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