ルーシーとアレックスと私 |
アジサイ | の | 泉 | の広場 |
ミッキー | / | けく | 小5 |
食事というものは、いろいろな条件に制約された文化という構造体の重要な |
部分である。何をいつ食べるか、それをどう食べるか、食べてはいけないもの |
は何か、といったことことに関して、どの国の食事にも、さまざまな制限や規 |
則が習慣として存在する。たとえば、白い米のご飯は、日本食の場合には、食 |
事の始めから終わりまで食べられる。けれども、西洋諸国では、食事の一段ご |
とに一品ずつの食物を片付けている。そのことから、外国といろいろと食い違 |
いが生じてくるのも当然である。 |
私はこの長文を読んで「私もよく見ているな。外国人との違い…。」と思っ |
た。なぜかというと、私は外国人の知り合いが二人いるからだ。一人目は、 |
同じ小学校のルーシー。二人目は、友達のアレックス。その二人と私はすご |
い差なのだ。 |
「ルーシー、か・い・て」 |
ルーシーにわかってもらえるため、私ははっきり「かいて」という言葉を言 |
った。 |
「OK!」 |
なんとかルーシーは通じたらしくスヌーピーの紙をわたした。 |
(どんな風に書いてくれるのだろう。楽しみだな…) |
そして数日後、ルーシーは私に紙を返してくれた。 |
「サンキュー。」 |
そう一言いい、私はその紙を見た。すると、なっ、なんと…、落書きがされ |
ていた。(スヌーピーのさし絵)もちろんそれはルーシー自身が書いたものだ |
。 |
「やっぱり外国人だな~。この絵…」 |
その絵を見ながら、小さい声でつぶやいた。(あれ、前にもこういうこと、 |
言った覚えがあるぞ)そう。アレックスのときもそうだったのだ。本当に二人 |
の絵は私にはまねができない。なぞることができてもまねはできない。でも、 |
それは当たり前かもしれない。日本の画家が描く絵と外国人の画家が描く絵が |
違うように私達の描く絵も違うのだ。たとえばピカソの絵を日本の画家に描け |
といっても、ピカソの良さは表れない。ピカソに日本の画家が描いた絵を描け |
といっても日本の景色の良さは少ししか表れない。それと同じだろう。私達が |
描く絵も。 |
また、もっと身近な面でも外国との違いが見られる。レストランだ。洋食の |
でる日本のレストラン、たとえば、ファミリーレストランでは、デザート以外 |
の食べ物は一緒にでてくる。ところが、日本にあるフランスレストランのコー |
スでは順番に食べ物がでてくる。そういうところも外国と日本の違いなのでは |
ないか。私は、長文にも書いてあったように日本人はあちこちに飛び回って食 |
べている習慣から、食べ物の全てが一緒に出てくるのではないかと思う。 |
「所変われば品も変わる」といわれるように、やはり外国と日本の文化は違 |
うということがわかった。そして、日本の文化も大切にし、そのうえ外国の文 |
化も受け入れられるような人になりたいと私は思う。 |
ルーシーに書いてもらった紙は今でも大切にファイルにしまっている。 |