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「読解力」の必要性
アジサイの広場
○○○○あう大2
 全ての文化の基本は母国語、とりわけ読解力にある。それを受けて文部省の
読解力の養成に力を入れようとしている。一部上場の企業の職員に国語のテス
トをさせたところ役職別に点数が分かれたことや、イギリスにおいて銀行の頭
取になった人の多くはシェークスピアの愛読者であることから、経営者に求め
られているのは読解力であることがわかる。したがって、少しの時間でも毎日
、難解な本を読むべきである。
 
 少子化に対応して、大学側でも改革に乗り出すようになってきている。その
中で、例えば情報処理科目を設置したり、実践的なことを中心に据える大学が
増えてきて、中には一般教養科目をなくそうとする大学もあると言う話を聞い
たことがある。
 
 たしかに、インターネットの普及、経済のグローバル化により英語やコンピ
ューターなどのかなり高度な技術を身につけることが要求されている。大学と
は別の専門学校に通う大学生の増加や資格の取得がブームとなっていることが
その裏付けといえる。また企業側も採用の条件として、かなり高度な専門知識
を持つことを挙げている。この点から、大学が実践的なことを教育の中心にし
ようとすることも当然のことといえる。
 
 しかし、かつて「3C」といわれたような時期とは異なり、もはや生活に必
要な製品はほぼ普及してしまったため、需要を新たに作り出すことが困難にな
ってきている。そのため、デザイン性などの専門知識をこえた分野も要求され
るようになってきている。また経営者にとっても、経営学のような専門知識も
必要であるかもしれないが、むしろそれぞれの分野の専門知識を持つ人をいか
にしてまとめていくかということが求められるのではないだろうか。そのため
にはやはり「考える力」が必要となる。
 
 確かに、「考える力」の養成、読解力の養成は、専門的な教養に比べて有用
性に欠けるのように考えられる傾向がある。しかし実践的なことなどの表面的
なことにとらわれると、世間の構造が変化した場合、必要でなくなった機械の
ようにその人自身もスクラップされることになる。状況が常に変化する現在に
おいて陳腐化することのない人間になるためには専門的・実践的なものをこえ
た読解力が求められるのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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