かたつむりと祖母 |
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馬のしっぽ | / | はり | 中3 |
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私はチャボの死を通して、生命とは、何かのことで一瞬にして消えていって |
しまうものであることをした。これ以上大事なものはないと信じて大切にして |
いたものでさえ、一瞬にして離れ去り、二度と戻ってくることがない。人生で |
はそういうことが起こる。子供の日から何十年かの後、ブリュッセルの美術館 |
で、この時私の感じたものをはっきり思い出させずにおかない一枚の絵にあっ |
た。私たちは突然やってくる「死」というものを、真っ正面から受け止めるべ |
きだ。 |
私の通っていた小学校では低学年の間は、なにか動物を飼うというのが慣例 |
になっている。私のクラスは、かたつむりを飼った。最初はクラスで二匹のか |
たつむりを飼っていたが、そのうち、子どもがたくさんできたので、各グルー |
プで分けて飼うようになった。週に何回か、餌をあげたり、お掃除をしたりす |
る係りがまわってきて、私はそのたびに、毎朝早く学校へ行って、同じ当番の |
友達と一緒に、世話をしていた。三年生のある日、最初から飼っていたかたつ |
むりの片方が死んでしまった。みんなで小学校の裏にある森にお墓を作って埋 |
めて、お祈りをした。 |
小学生四年生のとき、私の母型の祖母が亡くなった。その頃、私はまだ子供 |
で死というものが良く分からなかった。祖父と一緒に祖母の病室にいても、何 |
も無くてつまらないからいつも早く帰りたがった。呼吸を示す機会がゼロにな |
ったとき、祖母は死んだのだと私は分かった。しかし、母や叔母のように泣い |
たりせず、いつもと変わらずのうのうとしていた。しかし、ここ二。三年、私 |
はなくなっていった祖母のことを良く考えるようになった。その時、私の中に |
必ずよぎってくることは、「どうして私はもっと祖母のそばにいなかったのだ |
ろう。話ができるときに話をしなかったのだろう。」という後悔ばかりだ。祖 |
母のことを考えるとき、私は祖母のことを何一つ知らなかった。祖母がどのよ |
うな病気でどのようにして死んでいったかということ、顔は写真があるから分 |
かるものの、好きな食べ物や、彼女の性格、そういった中身を私は理解してい |
なかった。それが凄く悲しくて悔しかった。病室での祖母は自分が病気にもか |
かわらずいつも回りに気を配ってくれた。私が駄々をこねると、それを素直に |
受け止めてくれた。欲しいものがあるときは買ってくれたし、夜眠るときは側 |
にいてくれた。その頃の私にはそれが凄く当たり前で、なんとも感じていなか |
ったけれど、今思うと、それは祖母の優しさであり、愛であった。祖母を亡く |
してからもう六年という月日が経つけれど、私は最近祖母の存在を身にしみて |
ありがたかったと思うようになった。もし今祖母がいてくれたら、もっともっ |
と後悔しないように接することができたのにと思ったこともあったが、後悔す |
るよりも、まだ祖父の方が元気だから、祖父の方で祖母の分まで後悔しないよ |
うに接しようと思っている。 |
確かに、「死」を真っ正面から受け留めることは、時と場合によっては難し |
いことかもしれない。あまりにも悲しい死や、残酷的な死からは、どうしても |
逃げたくなり、考えたくないだろう。しかし、なにかの死というものは、ただ |
の終わりではなく、そこから得られるものが必ず潜んでいる。どんなに当時か |
ら長い月日が経ったとしても、そのものの死が意味するものを考え、「死」とい |
うものを真っ正面から受け留め、それをばねとして生きていくべきではないだ |
ろうか。 |