死、別れの受け止め方 |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
りさ | / | あいす | 中3 |
これ以上大事なものはないと信じて大切にしていたものでさえ、一瞬にして |
離れ去り、二度と戻ってくることがないという経験は生きている中で必ず経験 |
する。ついさっきまで、幸せにくらしていた生活が一変することだってある。 |
これは、予想もせず突然とやってくるものなのだ。このことに人間は驚き戸惑 |
うのではなく、事実をしっかりと受けとめ自分を持って自分自身を成長させる |
ことが大切なのだ。 |
「死、あるいは別れを経験したことがあるだろうか」自分自身に問う。答え |
は「ある」だ。大人に比べればその回数は少ない。しかし、死や別れの経験は |
、死についてあまり認識していない子供にだって、なにかしらの悲しみが心に |
きざまれ、大人になっても忘れることはない。私が死というものに始めて出会 |
ったのは祖母の死だろう。そのころ私は3歳ごろだっただろうか。3歳のころの |
出来事はあまり覚えていないのに対し、祖母の葬式のことはなぜか今でもきち |
んと思い出せる。本能的に死という悲しみが、分かっていたのかもしれない。 |
だが、まだ記憶に新しい、友との別れの話をしよう。今年の文化祭で、私の |
入っている部活の発表が終わり高2の引退式を兼ねての反省会をしていたとき |
のことだ。ただでさえ涙、涙の引退式なのに、私の友の爆弾発言に私はなんと |
も言えない悲しみのショックをうけた。引っ越すというのだ。ただの友達であ |
ったらそんなにショックはうけなかっただろう。しかし、中1からずっと仲良 |
くしていた友達との別れはさすがにつらい。その子は中学卒業とともに引っ越 |
すということだ。だが、くよくよしてその事に関して目をふせていても、悔い |
がのこるだけだ。別れという現実を直視し、引っ越すまでのわずかな時間を悔 |
いなく過ごそうという新たな目的ができることにより、自分自身も少しずつ成 |
長するのだ。 |
では、どのようにしたら現実を直視できるだろうか。心に余裕を持たすこと |
が必要だと思う。心に余裕がないまま、急にショックな情報が自分のなかに入 |
ってくると、それを受けとめることができず、人生をマイナス方向ばかりに考 |
えてしまう。人生は一回きり。やり直しはきかない。精一杯に生きることが一 |
番大切なことなのだ。よって、どんなに悲しいことが突然と表れても、そのこ |
とが自分の人生を充実させる一つの方法として取り入れることが大切なのだ。 |
確かに、死や別れは悲しい。しばらくはおちこむことも大切かもしれない。 |
しかし、それは短期間の間だけだ。長い間落ちこんでいては、自分自身は成長 |
しない。「経験は最良の教師である」というように、悲しいことでも経験する |
ということは自分自身にプラスになる。おちこむことだけを考えるのではなく |
、物事は良い方向、良い方向へと考えていくことが必要だ。人生は楽しいほう |
がなお楽しく生きることができるのだから…。 |