国の文化 |
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食事という物は、いろいろな条件に制約された文化という構造体の重要な部 |
分である。なにをいつ食べるか、どんな風に食べるか、食べてはいけない物は |
何か、どの国の食事にも、様々な制限や規則がある。例えば、カトリック教は |
金曜日には獣肉を食べなかったり、イスラム教は豚肉は不浄なものとして決し |
て食べない。文化の単位をなしている個々の項目という物は、他の様々な項目 |
との間で、一種の引張り合い、押し合いの対立をしながら、相対的に価値が決 |
まっていくものなのである。自分の文化にある文化項目が、他の文化に見出さ |
れたからといって直ちにそれを同じものだと考えることが誤りなのは、その項 |
目に価値を与える全体の構造が多くの場合違っているからである。 |
日本の中でも、おもしろい習慣というのはたくさんある。例えば、祖父や叔 |
父は、すいかを食べるときに塩をかけるそうだ。(そうすることによって、甘 |
みがひきたつとか)また、叔父はトマトに砂糖をかけて食べるそうだ。僕も、 |
何事も体験とチャレンジしてみたが、口に合わなかった。このようなことをし |
ている叔父と祖父は、北海道に暮らしているのだが、北海道=スイカに塩とい |
うことなのだろうか。まさかとは思うけど・・・。このように、海外に限らず、国 |
内にもその土地の文化(?)というものはあるのだ。 |
価値観の違いということで、こんなことがあった。おこづかいをもらってい |
るかいないかのアンケートで、もらっている人にも、もらっていない人にもい |
いところはあるのだという。このような結果になったのは、おこづかいをもら |
っている人ともらっていない人に、価値観の違いが生じるからだと思う。この |
ように、価値観というのは、人によって様々なのである。 |
「郷に行っては郷に従え」ということわざがあるが、その国の文化には従わ |
なければならない。 「価値観の違い」という物は、誰にでもあるものだ。し |
かしそれを、どれが良くてどれが悪いということは出来ない。なぜなら人によ |
って、いや、国などによっての考え方は、違っているからだ。というようなこ |
とがわかった。 |