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日本のある会社が
イチゴの広場
杉田大岳うい中2
 「日本語を話せるか。」という問いに、国際貿易国の人ははいと答える。そ
れに対して日本人は、語は英語に変わるが、少しだけというようなあやふやな
答え方であろう。このような日本流な答え方が、「謙譲の美徳」なのだ。また
、人は一人の人間のイメージをひとつに固定したがるものらしい。だから、そ
の人の新たな側面を発見しても、肯定的にはなれない。そういう考え方がある
から、その型からはみ出て「打たれる杭」にならないよう自分自身は「謙譲の
美徳」を利用したり、自分で自分をほめたりする。つまり長所を伸ばさない文
化なのだ。
 
 私が得意なのはバスケットボールなのだが、昔、知らない人に、人から聞い
た様子で、「バスケ得意なんだって。」ときかれたことがあるが、私は遠慮が
ちに、「いやそうでもないけど。」と答えた事がある。このとき私は、こう答
えたほうが無難だし、また相手から過大な期待を受けないためにそう答えたの
だと思う。
 
 日本という国全体が、「謙譲の美徳」のようにはっきりしないせいか、大き
く踏み切れなかったり、いざというときに決断できない。例えば、阪神大震災
のときの政府の対応の遅さだ。これはもっと、当時の首相の村山富市氏が早く
決断していれば、もっともっと救える人がいたはずだ。挑戦しないで失敗する
より、挑戦して失敗したほうが、より多くのことを学べ、短所を長所に、長所
をより伸ばせると思う。
 
 確かに、「謙譲の美徳」を使う人が多いところでは、表面上は穏やかだが、
一方著しい発展は見られない。大事なのは結局奇抜な発想や、しっかりした態
度なのだ。これは全てに共通することだと思う。なぜなら、発展してきた場所
では、そういう人が先頭にたって物事を行ってきたからだ。