ひとこと
無題
アジサイの広場
鎌足のり高1
 最近、客観主義の史観をする人が多くなっているのではないかと思う。自我
を殺して自分が歴史的世界に生きる人間の一人であることを忘れているのでは
ないのか。私たちはもっと、自分の史観でものごとを見つめてみてはどうであ
ろうか。
 ただ単に歴史を研究し豊富な知識で記述するだけでは味気のないものになる
であろう。資料があれば自ずと歴史ができるものではない。つまり、資料の統
一には史観というのがなければならないのだ。
 もちろん、歴史に限らず普段私たちの身の回りで起きていることにたいして
もそうだ。例えば、勉強。よい高校、良い大学、良い就職……。と、ひたすら
に机に向かうのは知識を身に付けているだけなのだ。私の周りにはいなかった
が、昔、何かの本でこん
 なストーリーがあった。ただがむしゃらに勉強をしていて気付けば、自分の
感情を表すことができなくなってしまっていた。
 人は知識だけでは世を渡ってこれなかったし、これからはもっと自分の意志
というものが必要となるのではないのか。確かに、自分の史観が何ほどか曇る
といったことも起こりえるだろう。しかし、それはまだ知識だけに捕らわれて
いない証拠である。間違いを犯して自己を磨きあげていく。それが、これから
もっとも重要なことになるのではないのか。