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このやろー!!大縄で恥じかかせやがって!!
エンジュの広場
がっちゃんてな中2
 運動会では、毎年必ず徒競走がある。私はそれが嫌いでもないし、走るのが
嫌いなわけでもない。しかし、そういうように全速力で走る時、同じぐらいの
スピードの人が側らにいて走っていると、競争相手がいて走りがいがあるとい
うものだ。それに、走った後に「よくがんばったね」という達成感が生まれ、
とてもすがすがしい気分になる。
 
 よく、「スポーツは勝ち負けが問題ではなく、どれくらいがんばったかが一
番大切だ」という人がいる。私も「どのくらいがんばったかが大切だ」という
ことには賛成だ。スポーツは適当にやるというのが一番良くないやり方だし、
「がんばった」と、いうのはとても良いことだと思う。スポーツは全力を尽く
すことに意義がある。トイレの個室には2人で入るのではな1人入るものだとい
うように、スポーツで全力を尽くすというのもいわば当たり前のことなのであ
る。でも、勝ち負けはどうでもよいというのはどうだろうか。勝ち負けがどう
でもいいと、「やりがえ」というものがない。例えば、話題は全く違うが、ど
の学校にも「合唱コンクール」のようなものがある。たいていの学校は、上手
に歌えたクラスに賞状が与えられる。しかし、そういうものが無かったらどう
なるだろう。生徒たちは「なんにももらえねーならやんなくてもいいべ」とい
う考えになってしまい、がんばって歌うクラスがなくなってしまう。
 
 しかし、勝ち負けにこだわりすぎるのも考え物である。今さっき、他国のサ
ッカー選手がシュートをはずしてピストルで殺されたということを聞いた。勝
ち負けにこだわり過ぎた結果である。きっと、負けたことが死ぬほど悔しかっ
たのだろう。それから、団体戦などひとりでやる種目ではないものでは、勝ち
負けにこだわりすぎると大変なことになる。ひとりでやる種目ではないので、
やはり負けるとあるひとりの人間に責任がふりかかる。私の学校では、つい最
近体育祭があった。その種目の中に大縄跳びというクラスのみんなで何回大縄
が飛べるか競うという、なんともくだらないものがあった。その種目で私のク
ラスは3回飛んで4回目でA君が引っかかって、記録はたったの3回。(ちなみ
に一位のクラスは46回だった)私は勝ち負けにとてもこだわる人間なのでその
A君を責めたい気分だ。
 
 勝ち負けはこだわりすぎるともめごとになる。が、全く考えずに進めてしま
うとみんなのやる気がなくなってしまう。でも、私は勝ち負けはこだわった方
がいいと思う。先ほどのピストルの事件のようになるといいけないが、勝った
ところはこれからもその調子で。負けたところは次回負かされたところに勝て
るように練習すれば良い。そういう運動会では、毎年必ず徒競走がある。私は
それが嫌いでもないし、走るのが嫌いなわけでもない。しかし、そういうよう
に全速力で走る時、同じぐらいのスピードの人が側らにいて走っていると、競
争相手がいて走りがいがあるというものだ。それに、走った後に「よくがんば
ったね」という達成感が生まれてとてもすがすがしい気分になる。
 
 私は、「勝つ」というのはやはり大切だと思う。よく、「スポーツは勝ち負
けが問題ではなく、どれくらいがんばったかが一番大切だ」という人がいる。
私も「どのくらいがんばったかが大切だ」ということには賛成だ。スポーツは
適当にやるというのが一番良くないやり方だし、「がんばった」というのは力
の限りをつくしたことに値する。スポーツは全力を尽くすことに意義があって
、スポーツで全力を尽くすというのはいわば当たり前のことなのである。
 
 しかし、勝ち負けはどうでもいいのだろうか?私は、勝ち負けはスポーツに
大いに関係あると思う。なぜなら、「良い馬は長い坂を欲する」という名言が
あるように、勝ち負けがあると勝った方も負けた方も次回への目標や期待がで
てくる。いつも一つ上の目標を持っていると、負けた方も次回は勝てるように
なると思う。