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スポーツの勝ち負け
アジサイの広場
たきあし高3
 極端に生徒の序列化を避けようとする小学校が今日見られる。運動会での徒
競走で、ゴールするときは皆で手をつないで一緒に、という学校があるらしい
。このことの目的は、過度の競争意識から生徒を開放する、ということなのだ
ろうが、これはいささか度が過ぎているといえよう。このような過保護が自主
性のない子供が育つのを助長し、結局社会に出る彼らの首を絞めている。
 
 やはり度が過ぎている現状は改善すべきだろう。その意味で先述の徒競走を
ランダムに選ぶのではなく、ある程度タイム別に分けるというのは良かった。
この状況下では、比較的足の速い生徒も負ける可能性があり、その逆も十分に
ありえる。貴重な経験になるはずだ。私の学校は高校だからということもあっ
てか、足の速い者のみの選抜で100メートル走をする。非常にレベルが高くて
、見ている側も競技をする側も気持ちが良いことだろう。新たな価値観で捉え
ると、競技は見ている人も楽しめてこそ、ということだ。
 
 その上で今度は両親も子供をのびのびと競技させてやるべきだ。小学校など
は子供よりも親のほうがカメラの場所取りなどで頑張っている。10万円を優に
超える最新機器で「競技」している中で、子供が無邪気にスポーツを楽しめるか
というと、そんなことは言えない。やはり親の期待にこたえようと、変に必死
になってしまうだろう。あくまで生徒達が楽しむための運動会なのだから。
 
 確かに、小学校の低学年から競争意識を植え付けるのも良いとは言えない。
その頃はまだ「みんなで」という色が強いからだ。しかしいたって親が親として
機能しなくなっている今日、そんな社会勉強は速ければ速いほど良いだろう。
あえて谷底へ突き落とすべきなのだ。序列化された世間にも、這い上がってき
た者なら適応し得るはずだ。
 
 手をつないで、というお遊戯はもう終わった。あくまで彼らは小学生なのだ