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エンジュの広場
がっちゃんてな中2
 社会は個人から成り立つものとされている。したがって実状はどうであれ、
それぞれの個人は、社会の認識、運営、将来について責任をもつものとして意
識し、行動していることになっている。しかしながら現実の日本人の多くは、
社会を構成する個人としてよりも、世の中にいる、ひとりの人間として行動し
ている部分の方が多いのである。
 
 世間というのは、一般的に自分以外の人の集まりだと、わたしはおもってい
た。「そんなことして、世間さまに見られたら恥ずかしいよ〜」と、いうよう
な言葉はみなさんももう聞きなれた言葉だろう。しかし、筆者は“世間は常に
個人との関係においてその個人の顔見知りの人間関係の中でうまれているもの
”と、述べている。つまり、世間は私達の身近にあるのである。それどころか
、わたしたち個人が作っているのである。学校のクラスで、自然にできたグル
ープで固まっているのも世間。そのへんで、中年のおばさんたちが集まってイ
ドバタカイギしているのも世間。夜の公園で、ベンチに座って若いカップルた
ちが不適切な行為をしているのも世間なのである。
 
 それから、日本人は世間の目を妙にきにする。その例としては、「友人に○
○ちゃんって、いつもおもらしばっかりしていてやだ〜」と、仲の良い友人に
言われると、言われたほうは○○ちゃんのことが嫌いでなくても「そうよね〜
!それにときどき自分の鉛筆なめて喜んでるんだよ〜!わたしもあの子きらー
い!!」と、話を合わせてしまうのである。これは、自分の仲の良い友人に嫌
われたくないという一心で話しを合わせたのだろう。この場合の世間というの
は、仲の良い友人である。歩かにも最近のドラマで、銀行の支店長が自分の息
子が警察に捕まったことをまわりにばれないようにかくしていたという場面が
あった。それこそ世間の目を恐れているにこしたことはない。この場合の世間
というのは、銀行の中の社員や、上司なのであろう。大学・短大進学率には、
大学・短大入学者が80万人、志願者が54%、進学者が46.2%となっている。こ
れは、世間(近所、友人)の目を気にして「大学ぐらいちゃんと行こう」とい
う若い日本人の考えであるといえよう。
 
 このように、世間はそんなに大きなものではなく、個人の身近なものである
。日本人はその、世間の目をとても気にする。つまり、日本人は自分自身に自
信がないのである。「自分が考えたとおりに生きなければならない。ついには
自分が生きたとおりに考える様になってしまう」と、いう言葉がある。しかし
、この場合は自分が考えたとおりに生きなければならない。ついには人が生き
たとおりに考えるようになってしまう」ではないだろうか。人の目ばかり気に
していたら自分の意見がなくなってしまう。自我を大きく持つのは大切なこと
である