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人間の本能
アジサイの広場
さやかあおべ中3
 産業革命以来、機械は人々の生活を豊かにし、その進歩はイコール人類の幸
福につながると信じられてきた。しかし、最近になってその工学的な発想の行
き過ぎが見直されている。それを補うための最も有効な方法の一つに、生物的
発想がある。この発想は建築にも関係する。これまで建築は芸術性と工学的な
技術に重点が置かれていたが、我々庶民は人間であるよりもさきに生物である
ために人間臭さのよどみというのが大切なのだ。そしてその人間の泥臭さの中
には人間の本質といったものがひそんでいるのだ。
 
 確かに、コンクリートにガラスばりといった建物が並ぶ都市よりも、ごちゃ
ごちゃしていて人と人との関わりがさかんな町のほうが、落ち着く気がする。
最初はきれいにととのった部屋にしてみたいなとおもったりするが、実際物を
少なくしてキレイサッパリとした部屋にすると、すぐにきたなくしたくなるも
のだ。それは、ハムスターにもいえる。小屋が汚いからキレイに掃除しましょ
うといって小屋から汚い食べカスやらを取り除いても、すぐに食べカスを小屋
に運んで汚くしてしまう。それは、動物の本能なのだ。「人間は外見を求めて
いるようで本能的な人間臭さを求めているのだ。」
 
 又、全国味噌工業協同組合連合会の1996年の調査によると、「20代の
独身男女の理想の朝食像」で、「ご飯味噌汁などの和食系」が、「パンなどの
洋食系」をはるかに上回った。このことから、日本人にとって外国はあこがれ
であるにしろ、結局は日本人古来の性質から抜け出せないのである。
 
 私達はコンクリートにガラスばりといった建物が並ぶ近代的都市にあこがれ
がある。しかし、本当にその環境の中で暮らしているとやはりごちゃごちゃし
た下町がなつかしくなるに違いない。「大切なのは、健康らしい外見ではなく
、健康自身である。」という言葉があるように、私達はみためを大切にするの
ではなく、人間の泥臭さの中にある「人間の本質」を大切にしてゆくべきなの
だ。私達は本能に逆らえないのである。