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こっそり出る杭。
アジサイの広場
ペー吉うき中2
 日本人は主張をしない民族だ。韓国では、日本語を挨拶程度しか話せないの
に「日本語を話せる」と言う。日本人は、そこそこ英語を話せても「ほとんど
話せません」と言う。日本流の謙譲の美徳である。日本には、個人の個性を光
らせない基盤がある。だから、自分で自分の才能を誉めることが、個性を光ら
せる道である。、
 
 私も、日本人は自己アピールが足りないと思う。「出る杭は打たれる」の概
念のもとに行動している為、「出る杭」にならないように、個性を集団の中に
埋没させるのだ。私のクラスでも、先生が問題をだしたとき、それに進んで答
える人は少ない。隣同士でつつきあって、ぼそぼそと答えを交わし合い、これ
でいいのかとなんどもお互いに確認を取り、結局それを聞きつけた先生が正解
を言う。こういったパターンで、授業が進んでいる。村八分にならないために
、個性を消すのだ。「集団は安全な檻である」といったところであろうか。
 
 データ的に見てみよう。世界の億万長者は、一位が43,680億円の財産をもつ
ビル・ゲイツ、二位が33,120億円のウォルトン一族、三位が27,840億円のウォ
ーレン・E・バフェット。上位はアメリカ人によってしめられており、日本人
の名前は、はるか下方に存在する。これは、個性を尊重するアメリカの教育と
、個性が嫌われる日本の社会との成功性の違いと見てもいいだろう。出る杭を
使おうとするか、出る杭を叩くかでもある。
 
 だが、真に重要なことは、個性を集団に埋もれさせ安全に生きるか、個性の
ある成功を目指すかではなく、個性を失わずに保持しつづけることだと思う。
どんな社会でどんな建前があれ、嫉妬というものは人間の感情につきものであ
る。やはり出る杭は打たれるのだ。しかし、かと言って個性を埋もれさせるの
はもったいない。「能ある鷹は爪を隠す」。光るものを持ちながら、それをひ
けらかさず、本当に必要な局面で、その力でなんとかする。個性を殺さず、出
る杭とならずに打たれず。やや冗談じみた言い方になってしまうが、「出る杭
は打たれるので、地面の下に出る」というのが適当な言い回しかもしれない。
我々は、個性を前面に出すことよりも、内からにじみ出る個性を「使える」よ
うになることが重要ではないか。