先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
自分をけなしていると見せかけて自慢している日

本人の
エンジュの広場
がっちゃんてな中2
 日本のある会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出したという
。「日本語のできる人を求む」すると瞬く間に、「我こそは日本語が達者であ
る」と胸を張ってたくさんの香港人が押しかけた。この話を聞いたとき、私は
「香港の人はすごい」と感心したものだ。そこで、「まあ、そこそこ話せるな
」と内心自負している人も、「少しだけ」と答えておく。かくして人は、自分
の立場を確保するために他人を型にはめたがり、その作られた型からはみ出て
「打たれる杭」にならないよう、自分自身は「謙譲の美徳」を利用する。
 
 私の友達に運動神経も抜群、勉強もできる、顔はかわいい、男にもモテる、
しかし不器用という一つぐらいしか欠点がない女の子がいる。その子は毎日の
ように「あたしぃー運動神経にぶいしぃー、バカだしぃー、顔も悪いしぃー、
全然モテないしぃー、不器用だからぁ、最悪なのよねえ(^_^)」と、にこにこ
しながら自分を否定するようなことを言っている。その子がそんな事を言うた
びに、私はいつも「あーあ、また自慢が始まった」と、言う。日本人はこのよ
うに、自身があることもないことも何でも謙遜する。それは、自分に責任がか
かるのが嫌だとか、不安だとか、そんな理由があるのであろう。私はそんな日
本人を臆病な人間だと思う。
 
 それに比べてアメリカの社会では、もしも「あたしぃー運動神経にぶいしぃ
ー、バカだしぃー、顔も悪いしぃー、全然モテないしぃー、不器用だからぁ、
最悪なのよねえ(^_^)」と、いうと本当にそんな人間だと思ってしまう。だから
、日本人とは反対に自分のよいところをアピールしていかなくてはならない。
しかし、自分の長所をアピールすると、このようになる。「あたしぃー、運動
神経いいしぃー、頭もいいしぃー、かわいいしぃー、結構モテるのよねえ」私
たち日本人の感覚ではこれはただの自慢になってしまうが、本当に自分のでき
ることを言うときや伸ばしたいときには役立つ。
 
 自分のことを謙遜してはなす日本人。できることは何でもアピールするアメ
リカ人。どちらも大切なのはどれだけ中身の実力があるかだ。自分のことを否
定してばかりいて、本当にその通りの人間だったり、「私は○○ができまーす
」と、言っていても、本当は何もできない人なのかもしれない。だから、一番
大切なのは、中身の実力なのである。